『赤い糸 輪廻のひみつ』と過去作品にみるギデンズ・コーの恋愛至上主義
九把刀の名前で小説家としても活動する映画監督柯景騰(ギデンズ・コー)は、台湾映画の中でも特にエンタメ色の強いヒットメーカーだ。『あの頃、君を追いかけた(那些年,我們一起追的女孩)』(2011年)は青春映画では台湾の歴代興行収入1位の4.25億元、『赤い糸 輪廻のひみつ(月老)』(2021年)は2.6億元を突破し、同年の興行収入2位となった。
以前は今ほどたくさん映画を観ていなかった私にとって、『赤い糸 輪廻のひみつ』が初めてのギデンズ・コー作品だった。台湾映画にはどちらかというと静かなイメージを持っていたが、こんなにハイテンションでカオスで楽しい作品もあるのだと、コメディ好きとしてワクワクしながらこの物語を観始めた。
※ギデンズ・コー作品をいろいろネタバレしています
縁結びを望んでいない人にもテキトーな縁を押し付ける神
雷に打たれて若くして死んでしまった主人公・孝綸(シャオルン、柯震東演)は、冥界でカタツムリとして転生することを拒否し、より良いものに生まれ変わるために善行を詰んでポイントを稼ごうと台湾で縁結びの神として知られる「月老(ユエラオ)」になる道を選ぶ。冥界で出会ったピンキー(王淨演)と共に試験を通り無事月老になると、彼らは現世に戻り、赤い糸をほうぼうに飛ばして縁結びをしていく。
誰をどんな基準で結びつけているのかはわからないが、そこはまあ、神なので、恋愛を望む人、必要とする人を見分け、その人に合う人を見定める能力が備わったのだろう。そう思っていたら、途中でそうでもないことがわかる。
孝綸は死んだ直後は記憶をなくしていたが、実は生前恋人・小咪(シャオミー、宋芸樺演)がいたことを思い出す。彼女に新しい相手をつくろうと月老たちは赤い糸を結ぼうとするのだが、そこで彼女にぴったりの相手キャラクターがすぐに用意されるわけではない。月老たちは「あそこの朝食屋の店主はどう?」「彭于晏(エディ・ポン、長らく恋人の噂がない俳優)はどう?」「五月天(メイデイ、超人気バンド)の阿信(アシン)はどう?」などとテキトーに独身であろう人の案を出すだけなのだ。候補たちについて「あの人はゲイじゃなかったっけ?」などと話していることからも、人のセクシャリティを超能力で知っていてそれをもとに相手を探しているわけでもないことがわかる。月老の法則として、「ジェンダーもセクシュアリティも何物も愛を妨げない」などというクィアの知識0点みたいなセリフも登場する。要は愛が正義、恋人は誰にとっても必要で、見つけてあげることは絶対的な善行なのだ、セクシュアリティとか知らんけど、と勝手な思い込みで動いているだけなのだ。
当の小咪は孝綸を亡くしたばかりでまだ彼への思いが強いのか、そんな気になれないのか、赤い糸は彼女に結ばれてもことごとく切れてしまう。何千本とさまざまな相手との糸をトライしても切れてしまうのを見て、月老たちは前代未聞だと大騒ぎ。この人たちは、アセクシャルという言葉を知らないのだろうか。そのうち、彼女は孝綸と一緒に雷に打たれたせいか、月老たちの存在が見えていたことがわかる。ついには彼女を「治す」と言ってピンキーが赤い糸の源泉みたいなぶっとくて光る糸を持ってくるが、それをも彼女は弾き飛ばす。
超常的な能力で小咪の運命を知っていて、彼女には新しい恋人ができることが絶対的な幸せなんだ、と言い切れるのであれば、その筋書きの好みはどうあれ月老たちの行動はまだ理解できる。しかし彼らは完全に勝手に自分たちの価値観でお節介をやいているだけなのだ。恋人の死をいつまでも悲しんでいたり、この世の人ではなくなった恋人とずっとつるんでいたりするのはたしかに健康的ではないかもしれない。でもそれをやっていようが、仮に彼のことを乗り越えて前に進むとして新しい恋人をつくろうがつくらまいが、それは彼女の勝手だ。人間同士だってただでさえたくさんお節介があって大変そうなのに、なぜ超常的な存在からもわざわざお節介されなければいけないのか。
恋人の縁をつなぐことが命を救う
まだここまでなら、見慣れた恋愛至上主義だ。恋人がいるのが幸せ、恋人をつくるためにお節介をやくことは良いこと、そんなフィクションは腐るほど観てきた。この作品はその恋愛至上主義を研ぎに研ぎ澄ましヴィブラニウムも貫通しそうなまでに鋭利にし、私を一瞬でみじん切りの嫌悪感の山と化すことに成功した。「新しい恋人をつくらないと死ぬ」という展開をオチにしたからだ。
小咪は前前前前前前世くらいに仲間の鬼頭成(馬志翔演)から恨みを買っており、生まれ変わらずに冥界でその記憶をずっと持ち続けて復讐のために現世に逃げ出した鬼頭成に襲われる。瀕死の彼女を救うために、孝綸とピンキーは持てる限りの力を振り絞って小咪に好意がありそうな優しい獣医の男性との赤い糸を彼女に結ぶ。そのおかげで小咪は一命をとりとめ、新しいパートナーと幸せそうに暮らす。
このシーンを観て私は、あ、この世界では、恋人のいない人は死ぬんだな、そんな世界嫌すぎる、と思った。月老の法則はもうひとつあり、「赤い糸で結ばれると、愛が実るまで命が尽きることはない」らしい。小咪を救うために努力するのは孝綸とピンキーかもしれない。でも彼女の命を理屈としてつなぎ止めるのは、まだ彼女が好意を持っているかもわからない、ただ向こうは小咪に好意があるんだろうなというのは予想できる人の良さそうな医師との赤い糸なのだ。赤い糸で結ばれることはどんだけ高尚なんだ。月老以外に、恋愛以外で人を救う神はいないのか。
途中、ピンキーを死に追いやったクソ男に復讐するために、孝綸が彼をオートバイと赤い糸で結ぶシーンがある。すると途端に彼はバイクに向かって性的行為を始めてしまう。赤い糸を結ばれた人すべてがそのような行動に走っていた訳ではないので、この人には恋愛=性欲、しかも同意を取れないのに一方的に行為をするような支配欲という側面も強いのだろう。そんな愛でも、赤い糸は赤い糸だ。"愛が実る"の定義は分からないが、彼はその状態で仮に瀕死になっても生き延びるのだろう。たぶん。
台湾的セカイ系?
ギデンズ・コーの恋愛至上主義は、この作品に始まったことではない。同じく柯震東が主演しなぜか日本と韓国でもリメイクされた自伝的作品『あの頃、君を追いかけた』では、主人公・柯景騰を含む"俺たち"が優等生で美人のヒロインを追い求めること自体がひたすらエモく描かれる。彼女の人となりを深く知ることで、関係を築いていく過程が描かれるのではない。彼女は優等生で真面目で可愛いことしか最後までわからない。主人公とだいぶいい感じになりはするが、その関係はそれ以上進むことなく、"もう一歩頑張れなかった俺(たち)の過去"としてあくまでエモく消費される。そう、新海誠メンタリティなのだ。
先に進まなかったから、それ以上の失敗もない。彼女の中でも俺は大事な人として記憶に残っているはず。俺が示す好意はぜんぶ嬉しいはず。だから間接キスしたくて彼女の結婚相手にいきなりキスしても許されるはず。そんな独りよがり(あるいはホモソノリ)を、たとえばNetflixの英ドラマ『思春期まっただなか(The Inbetweeners)』のようにひたすらアホで滑稽なものとして距離感をもって描くのではなく、愚かだけどエモい俺たちとして批評性なしに浸る。
ギデンズ・コーが原作・脚本を務めた『ハクション!(打噴嚏)』(2014年)でも、主人公・王義智(これも柯震東演)はヒロインに長年片思いしている。スーパーヒーローが存在する世界観の中で「勇敢な男性が好き」という彼女の言葉を単純に解釈しボクシングを始めた常人の義智は、やがて"愛の力"でヴィランを倒し、彼女を救うことになる。
俺の恋愛は尊いのだ、いや、すべての人の恋愛は尊いんだから、俺の恋愛だって尊いはず、と浸りたい気持ちが肥大した結果が、恋愛が人の命を救う、という『赤い糸〜』や『ハクション!』の筋書きになったのだと私は思っている。
この"恋愛は尊く善である"にみられる善悪の単純化は、恋愛がそこまでメインでない作品にも表れている。『變身(原題)』(2014年)では、毎回主人公・鐵男(陳柏霖演)演じるヒーローが怪獣を倒すだけで内容のアップデートをしてこなかった子ども向けテレビ番組が、同じキャストで10年も続いている。「善は悪を倒すという作品は守らなければいけないんだ!」という信念でどんなに視聴率が低くても番組とその意志を継ぐ主人公を守ってきた前社長が倒れると、新たにそのポジションに就いた娘によって番組がリニューアルされることは、あたかも悪のように描かれる。リニューアル後のヒーローのセンスはどうあれ、前社長と主人公の信念には1ミリも共感できない。子ども向けとはいえ、子どもたちだってもう少し複雑な世界を描いた作品でも理解できるだろうし、より面白く工夫された番組を観る権利がある。しかし単純な番組を守り続けようとするヒーローは、現実で犯罪者と戦うという勧善懲悪を実践する機会をたまたま得て、大勢を危機から救う。彼の単純な価値観は報われるのだ。
恋にまっすぐな人は良い人?
ギデンズ・コーが脚本や監督、原作者として携わる映像作品は、大きくわけて恋愛モノと、人の悪性を突きつけるような極端に露悪的なものの2つに分かれる。これまで言及した作品は前者だ。『怪怪怪怪物!(報告老師!怪怪怪怪物!)』(2017年)や『黒の教育(黑的教育)』(2022年)、『樓下的房客(原題)』(2016年)は後者にあたる。これらの作品では、集団リンチ、監禁、未成年の障害者への性暴力や薬を飲ませて寝た人への性暴力など、この世で思いつく限りのあらゆる悪行が登場する。
個人的に後者のような作品をあえて観たくはないし、ブラックコメディとして楽しめる人の気持ちもわからないが、悪はとことん悪として描いているので、作品自体は特別問題視しようとは思わない。しかし、両方のタイプの作品を観ていると、疑問が湧いてくる。この人にとっては、こういう極端にひどすぎる人たちだけが悪なのだろうか。自分の恋愛物語の登場人物たちの加害性には気づいていないのだろうか。
『赤い糸〜』の孝綸は、ヒロインに一目惚れし何度もプロポーズを繰り返す。小学生から大人になるまでずっとだ。一目惚れも、小さい頃は好き=結婚という思い込みなのも別にいいだろう。しかし成長する過程で孝綸がその思い込みのおかしさに気づく様子は一切ない。小咪のことを少しずつ知り、アプローチを変えた方がいいかななどと作戦を練る様子もない。小咪はなんだかんだ孝綸と一緒にいて、勉強を教えてあげたりしているので、おそらくまんざらでもないのだろうというのはわかる。しかし彼女に関して描かれるのはほぼ、彼のアプローチに対してどう応えるか、反応するかという場面だけだ。つまり彼女は『あの頃〜』同様恋愛対象としてしか描かれていない。その男性視点偏重もこわいし、アプローチももはやストーカーまがいでこわい。孝綸が小咪のことを意外と把握しており思いやる場面では唯一彼が彼女を知ろうという意識を持っていたことがわかるが、なぜそういう過程をもっと見せないのか。一途にアタックすることが愚かだけど微笑ましいことと思い込んでるからではないのか。でもそれは、俳優の魅力と、相手もOKだったからという結果論に頼っているだけではないのか。
『あの頃〜』の男子たちは、かなり幼稚で下品なキャラとして描かれる。勃起キャラ、日本のAVを観ながら男子寮の部屋で皆で自慰、極めつけは女性教師が授業中の教室での自慰競争、からのクラス全員の前での下半身露出だ。このシーンについてはさすがにギデンズ・コーも「子どもが真似したらどうするんだ」と怒られまくったらしい。しかし彼は「こんなに下品でくだらないこと、誰がやるんだよ」と思っていたという。「自分の考え方や精神状態が、どうにも隠しきれないまま作品に表れてしまう」とも語っているが、脚本にする上でそれを客観視するような作業は一切ないのだろうか。そこには「アホだったなあ俺たち」という生ぬるいノスタルジアしかない。別に愚かな人を描くなと言っているのではない。愚かさをそのまま肯定するなと言っているのだ(先生に怒られているだけなんて否定のうちに入らない)。きちんとした批評性を持って描かれていない作品を観て、幼い人には善悪の判断がつかないかもしれないと想像できないのだろうか。またその愚かさを見せつけられることは少なくない人にとってエンタメでもなんでもなく、加害性を伴うホモソノリであることはわからないのだろうか。それは『〜怪物!』や『黒の〜』の極悪高校生たちと紙一重じゃないのか。
人とはこんなに恐ろしいものだ、と突きつける作品を作っておいて、自分を投影したような作品のキャラたちの加害性は吟味せず、あくまでエモいものとしてそのまま世に出す。極悪人たちを見て、ここまで酷い人にならなければまだ大丈夫、などと思ってないだろうか。それが反映されているのが、『赤い糸〜』の恣意的な冥界のポイントシステムなのではないだろうか。
『赤い糸~』で孝綸は終盤、前前前前前前世くらいに鬼頭成に命を助けられたセミだったことを思い出す。7日間幸せだったありがとう、と何度も叩頭して感謝する孝綸を見て、鬼頭成は自分にも命を慈しむ気持ちがあったことを思い出す。すべての生き物は尊いなどと言いたいのだろう。しかしこの物語の中で、冥界は生き物に明確に優劣を付け、チャートまでつくっている。これのどこが生き物讃歌なのだろうか。猫を人の上に立たせたからといって何も笑えない。いろんなジャンルを隠れ蓑にして、白黒映画もびっくりの古臭い人間ロマンチックラブイデオロギーをやりたかったようにしか私には見えない。
2024年に観た(ほぼ)新作ラブコメ11本の感想まとめ+1
1. Paging Mr. Darcy(原題)
オースティン研究者のエロイーズはオースティンコンファレンスに招かれるが、学会というよりコミコン的なイベントの参加者たちを見下した態度。しかし憧れの研究者の甥でイベントのためにはりきってダーシーコスプレをしている元実業家のサムといい感じに…。
かつてはエリザベスに憧れたけど30代にもなって独身でそんな夢見がちなこと言ってられない、みたいな堅物主人公の調子を狂わせるノリノリダーシーさんじゃなくてサム。(なのでキャラとしてはむしろダーシーぽくはない)
オースティンコンなので『高慢と偏見』の演劇が劇中であるところとか、起こるハプニングにいちいち「これは時代考証的には間違ってるけどね」ってツッコむ人とか安っぽいけど笑った。
憧れの先輩研究者が「私の時代は諦めなきゃいけないことも多かったけど後輩の女性研究者たちには望むもの何でも手に入れてほしい、キャリアも良い暮らしもパートナーも」みたいに言うからあちゃーと思ったら「あ、パートナーは欲しければの話だけど」って付け加えるからナイス!て思ったのに、その後まあネタバレだけどキャリアのために独身を貫いた彼女にも結局パートナーができましためでたし、となったのは「異性愛七並べー!」となった。主人公の姉?妹?もくっついてるのでね。
2. Anyone But You(恋するプリテンダー)
ここ最近の中では話題性抜群だった劇場公開ラブコメ。期待半分疑いの目半分だったけど、うーんどっちかというと期待外れ。最初の出会って仲良くなるところとかはすごく良かった。カフェでどうしよう素敵な人に出会っちゃったかもキャー!みたいな可愛いこと言って服に液体こぼしてドタバタしてるかと思ったら、すぐ家行ってキスもする前に既に彼の膝に乗ってたりして、え??超上級者では??てなった。スマートとドジのバランス難し。
嫌なのはその後から周囲のおせっかい全開の展開。2人が嫌がればいいってもんじゃない。ラブコメはおせっかいすればいいと思ってる製作者多すぎ。ほかにもクリシェのオンパレードで、めっちゃ安っぽいセリフやお色気ジョークをあえて果敢にやるのはいいんだけどやっぱりやりすぎてちょっとスベってる感出ちゃってた。そして主演の2人にあんまりアホな表情の豊かさがないので、ドタバタ感がそこまで似合わない。べディングフィールド兄妹の曲も、ライ・レーンで使われたときはめちゃ良かったのだがこちらではただ「こういうのやっとけばラブコメっぽいでしょ」な押し付け感がすごかった。
あとこのタイプの脇役全員個性薄い作品は、周囲のキャラで多様性の埋め合わせをしようと思ってはだめ。メイン男女両方ブロンド白人で当て馬はダレン・バーネット、親友にもPoC、妹が同性表象カップルってさ。
2人の心理描写はわりにしっかりしてたけど、だからといってダメな部分をカバーできてはいない。
お願いだから「これくらいがちょうど良いよね」とかいってこの手のラブコメを持て囃さんでくれ。ラブコメはもっとできるジャンルなので。
3. An American in Austen(原題)
恋人のプロポーズにうまく答えられず、流れ星にダーシーさんをくださいと願ったら『高慢と偏見』の世界にベネット家のアメリカ人のイトコとして紛れ込んでしまったハリエット。自分のせいで物語の筋書きが崩れてしまい軌道修正しようとするが皆に疎まれ…。
物語世界に入り込んであれこれお節介焼こうとするっていうのは『ジェイン・オースティンに恋して』とほぼ一緒だけど、夢女子?の欲望そのままみたいなあちらのアンチテーゼをただやって、現実で自分の物語を描きましょうね、ではもうかえって古いのよ。その点はやっぱオースティンランドのバランスが絶妙だった。
4. Upgraded(アップグレード:どん底女子の幸せ探し)
アートオークション会社でインターンとして働くアナは、ロンドン出張に向かう飛行機で思いがけずファーストクラスにアップグレードされ、金持ちのウィリアムに出会う。思わず上司の名を騙ってしまうが、その後もウィリアムとの距離は縮まり…。
大筋はベタなのだが、「英国紳士のマナーは?(What happened to your manners, Downton Abbey?)」「僕は情熱的なんだ(I'm more of a Bridgerton man myself.)」に始まる小っ恥ずかしすぎる会話、わりと露骨な下ネタ、繰り返し使われるFUTONというワードにトンチキラバー心がいちいちザワついてしまう問題作だった。
5. Irish Wish(アイリッシュ・ウィッシュ)
好きな人が親友と結婚することを知ったマディは、気持ちを胸にしまってブライズメイドを務めるためにアイルランドでの結婚式に向かう。思わず結婚するのが私だったらよかったのに的なことを願ったら、翌朝本当に自分が花嫁な世界になっていて…?! いったいアメリカ人はアイルランドを何だと思っているのか笑。マディが自分に合う人はほかにいたと気づくのは良いのだが、そちらの良さを強調するより元の好きな人のダメさが目立ちまくってしまい、親友をあんな奴に押し付けていいんか?!という疑問が残る。ラブコメとして秀でたところは特に何もなく、しかしウォッチパーティーで観たので楽しさ10倍だった。
6. The Idea of You(アイデア・オブ・ユー)
歳の差カップル云々よりも、ニコラス・ガリツィンがボーイバンドのメンバーをやるというのが楽しみすぎて配信初日に実況しながら観てしまった。
予告編とかを観て、自分の母親が自分の好きなアイドルと恋仲になったら許せないだろ!!と思ってたら、娘はもうムーンヘッド(ボーイバンドAugust Moonのファンダム名)を卒業した設定だった。ずるい。
そんなに歳上の女性をどうやって好きになるんだろうと思っていたら一目惚れだった。ずるい。まあアン・ハサウェイだもんな。あと自分のこと知らない人に弱いよねスターって。なんかイチャイチャシーンにはアン・ハサウェイの本気度を感じた。あとギャラリスト女性主人公デジャヴ。出てくるアートがもれなく胡散臭いのも一緒。
August Moonの楽曲はかなり完成度が高かったが、それぞれの歌声が全然区別できないしガリツィン以外のメンバーはまったく時間を割いて描かれない。完全に4*Townに軍配。
ママと若いスターの交際を平和に遂行するために家族会議を開くのは嫌だ。あと「あんなフェミニスト男性ほっとく手はないよ!」みたいなことを口で説明するな。フェミニストな側面を見せろ。
嫌な元夫がリード・スコット(Veepのダン)で、その浮気相手が彼のダメさに気づいてすり寄ってきたときに馴れ合いを拒否したのは良かった。同じ敵を持つからって必ずしも女性同士連帯する必要はない。
ガリツィンが実年齢くらいの設定だったらまだよかったんだが、24歳の役と聞いてドン引き。
7. 30일(ラブリセット 30日後、離婚します)
離婚予定の2人とも記憶喪失になるってどう収めるのよ?!ていうのが想定内すぎなくて切なくてよかった。でも色々解決はしてないし雑なところが多く、主演2人のチャーミングさがなければなかなか辛かった。コメディ演技はわざとオーバーなんだと思うけど、あれくらいは韓国映画では普通なのか?!そうでもないのか判断つかず。ああいうのはハマればいいのだろうけど今回はそんなに笑えはしなかった。カメラ見てくるメタ演出とかもネタが分かったらもっとノレたかもしれないけども。。
8. 欢迎来到我身边(英題「Welcome To My Side」)
禁煙したくて謎の施術を受けたら、黄色を見るとしばらく周囲の人がアヒルに見えちゃう症状に陥った男性の前になぜか一人だけアヒルにならない女性が現れる。いや見えちゃうだけならまだしも、アヒル語しゃべってるようにしか聞こえないので大変。まず部屋中の黄色いもの取り除かないの?!会社に説明しないの?!病院で診断書もらお?!
女性の動画チャンネルも謎だった。料理下手なのに料理つくらせてリアクションさせて楽しむの?それだけでこんなチーム丸ごと食べて行けるの??SNSの解像度低すぎでは?!
以下ネタバレ→さんざんトンチキなことをやって、後で「実はこんな背景がありました!」てやるやつ、そのトンチキも面白くないといけないからものすごい高度なのに後で「驚いただろ!!」感やエモさで押し通すパターンが多くて良くない。カメ止めも私にはけっこうそれだった。
9. Fly Me to the Moon(フライミー・トゥ・ザ・ムーン)
まずチャニング・テイタム×スカーレット・ヨハンソン、60年代の宇宙開発という保守的なように見える建付けで惹かれなかった。それなら観なきゃいいのだが、特にTVで数々のクィア表象に携わったグレッグ・バーランティ監督の実績を知って興味を持った。実際フタを開ければ1人だけどクィアなキャラも当たり前のように出てくる。
バリバリに優秀で生き抜くために悪いこともしなければいけなかった女性が正直・誠実であることを誇りにしてきたようは恵まれた白人男性から学ぶのか?とヒヤヒヤしてたら逆に男性側が学ぶ流れもあったりして丁寧だし、正反対の2人が仕事を通して惹かれ合っていくというラブコメの王道の流れはよくできている。
が、やはりずっと頭をよぎってしまう「なんでいまこの話でこの2人が主役なんだろう」という感覚と、それを膨張させるチャニングとスカヨハの時代に馴染んでない感(なんか本来ピッタリそうなのにどこか違う)、それとたぶん地続きの全体に漂う地に足着いてない感。気にしないでそれなりに楽しもうとすればできそうな気がするのにやっぱり全然時代に入り込めないつくりもの感がつきまとう。結果全然ケミストリーないし、キャラの魅力はわからなくないけどどこで好きになったの?!てとことか笑いどころの演出がいちいち控えめなのも裏目に出ている気がする。
なぜいまこんな保守的な属性設定の作品を撮るのかっていうのは誰が監督であっても気にはなったとは思うけど、それがクィア当事者だった時に問うのはフェアなのかっていうとそうではない、でも無効な疑問でもない気がする。マイノリティの物語ばかり撮ってよとは言えないけども。
記事読むと脚本が先にあって、宇宙が大好きで物語も気に入ったから引き受けたということらしい。
10. 戏精自救攻略(時をめぐる花嫁~転生6回目の結婚式までに皇子と別れようと思案中です~)
ドラマのエキストラの主人公がセットで古代にタイムスリップした途端、婚約相手の皇子が結婚前夜に死んだのでお前も後を追って死ねと迫られ、死ぬ度にちょっとずつさらに過去にタイムスリップする1話10分ドラマ。最近急激に台頭してきた縦型数分のショートドラマとはまた別でたぶんもう少し前からよくあるフォーマットらしい。これくらいのコミカルさと短さがありがたい。
『棋魂(ヒカルの碁)』で兪亮役だった郝富申はラブコメ的出演作が多く観やすい。これまで途中でイメチェンする元ダサい親友役、親友(=好きな子)を追ってEスポーツの世界に飛び込む一途な天才役を観たが、今作の横柄な王子様役が一番似合う。
主人公はだんだん賢くなって死を避けられるようになるのでどんどん皇子と仲良くなっていくのはいいんだけど、まだ10話以上残ってるのにこのまま終わるわけないじゃん絶対またタイムスリップするじゃん皇子の記憶消えちゃうじゃん恐ろしい、と思いながら観た。なかなかハマっている。
主人公が現代の人なのでずっと主体的だしサバサバしててとても可愛くて見やすかった。皇子の弟も読めない感じで良いキャラ。どう観ても最後はちょっと駆け足だったけど、たぶんこういうのはあんまりオチの素晴らしさとかは重視されてないんだろうな。
1話10分なのに2回に1回は同じテーマ曲をバックにフラッシュバックモンタージュが入るのはなんとかならんのかとずっと思ってた。ベタなラブソングって感じで好きだったけど。
11. Acapulco(アカプルコ )S3
Apple TV+の癒やし枠ドラマ。メキシコのアメリカ人富裕層向けリゾートホテルで働く主人公マキシモは意中の人フリアとS2で恋仲になったが、それは現在からの過去語りで現在もその仲が続いているわけではなさそうなのでここから何が起きたのかとビクビクしながら観る。どんどん普通のずる賢い人になっていくマキシモがつらい。
ドラマだと脇役キャラの物語もきちんと描けるので良い。The Go-Go'sファン仲間の可愛い子に出会うレズビアンの妹、突然メイン回を持たされたチャラい同僚ヘクトールのチャラくない一面、自分探しの旅から帰ってきて一層アホさが増したように見えるが相変わらず歌が上手いオーナーの息子チャド。
めちゃめちゃたたみにくるな!と思ったけどまだ続いてた。S4が決まってよかった。
12. Sweethearts(スイートハーツ)
大学進学後も高校時代からの交際相手と付き合うのか問題がテーマだ!しかもメインの2人が前から付き合ってるんじゃなくてそれぞれ別の相手がいて別れようとするやつだから無理がない、わかってるぞ!!と予告編を観て思ったのだが、全然わかってなかった。
主人公2人は親友の設定だが、そもそも友人としてのケミストリーがない。それぞれの彼氏彼女と別れる計画を立てなんだかずっとドタバタしているのだがそのドタバタがまったくもって面白くない。別れたい相手もどっちもさっさと別れれば?な相手としか描かれなくてそもそも葛藤がない。
メイン2人の距離が友達から恋人に急接近する過程も別に描かれないので(元からなぜか親友ということになっていてやたら馴れ馴れしいだけ)面白くもなく葛藤もないドタバタに時間が割かれ、「じゃあ2人が付き合えよ!」と周りに無理やりお膳立てさせる始末。
男女間で友情は成り立つのか?なんて異性愛主義丸出しのテーマを2024年に扱うな。なんのためにゲイの親友出したんだ。だからラブコメ界の『恋人たちの予感』神聖視はやめろっつってんだ。結局友情も恋愛も丁寧に描かず結末ひねってなんかやった気になってるだけ。
3人目の親友はよくある雑なゲイベストフレンドではなく丁寧にやりましたって言いたかったんだろうけど、だったら主人公にしちゃいなよもう。2組もメインに男女カップル持ってこなくていいよ。消防士のジョエル・キム・ブースターというキャラを生み出したことだけが功績。
ニコ・ヒラガは話し声がやたらと落ち着いているのが魅力なのでカッコよく描いてる分にはいいんだけど怒って捲し立てる演技が似合わない。ルームメイトに雑に扱われる問題もちゃんと解決してほしい。キーナン・シプカは見た目も立ち振る舞いも優等生的なので尖ったキャラにするか徹底的にコメディさせた方がいい。
あともうナターシャ・べディングフィールドは使用禁止。
ピンクはエンパワメントのピンク(私にとって)

小さい頃の自分の写真を見ると、今となってはとても自分とは思えないほどいわゆる"女の子らしい"格好をしていることがある。ひらひらしたスカート、レースの袖口、下ろした長い髪にカチューシャ。ピアノの発表会は母お手製のドレスを着て出た。色も、基本的には多くの友達の女の子同様ピンクが好きだった。
それがいつからか、ドレスのリボンはピンクじゃなくて青がいい、ドレスは着たくない、パンツスーツがいい、と変わっていった。その折々に母は寂しそうな顔をした。小学校で使う絵の具セットのバッグはパステルカラーのピンクかサックスが選べて、私はサックスを選んだ。ほかにも何人かサックスを選んだ女子がいた。ピンクを選んだ男子は、たしかいなかった。習字道具セットは濃いピンクか緑が選べて、私はクラスの女子でただ一人緑を選んだ。母は反対したが、私の粘りに負けた。
いま好きな色を問われたら、たぶん青と言うと思う。服もモノトーン系かネイビー・茶系にデニムやシャツが青いことがあるくらいで、スカートをはくことはあるが、ストンとしたラインのものだ。
この好みは、もはやどこまでが自分の純然たる"好き"で、どこまでが世の中に規定された"女の子らしさ、女性らしさ"への反発で、どこまでが"女として見られたくない""(世の中の美の基準に照らし合わせて比べられたくないから)体型を隠したい"あるいは目立ちたくないといったネガティヴなものなのか、きっちり測ることはできない。幼少期からすべての要素が複雑に絡んで、達人でも解けない知恵の輪みたいになっている。そもそも何かの影響を受けないことは不可能だし"純然たる好き"なんてないのかもしれない。それでも、ネガティヴな影響がない状態の自分だったらどんなものを好んだのか、一生知ることはないのだろうと考えると無性に悲しくなる。
映画『バービー』のピンクの世界が私にとって心躍るのは、そうした世の中の"影響"など皆無の、"純然たる好き"でできているように見えるからだと思う。この世界の住人は、ピンクやポップなカワイイものを心から愛し、楽しんで身に付けている。そこに発生するのは「それとっても可愛いね!」「お互い好きなものを着れて楽しいね!」でしかない。それが人工的な世界で、その"好き"は企業によって方向づけられたデザインであることはわかっているのに、その存在に救われてしまう。ピンクはもうそんなに好きじゃない、というか自分には合わないと思っていたけど、このピンクは好きになれた。今ピンクが好きな人を肯定するだけでなく、私みたいにいつしかピンクを避けるようになってしまった人も、また好きになってもいいんだよと元気づけられているような気がした。映画館に『バービー』を観に行った時は、私もミーハー心を発揮しピンクの差し色が入ったカットソーを掘り出して着た。お祭りに参加した気分になって楽しかった。
忘れてはいけないのは、このバービーの世界はあくまでピンクやポップを楽しめる、一部の人向けのものでしかないということだ。私はたまたまかつてピンクが好きな女の子だったし、まだこの世界が表す"女性"に自分も含まれていると思える素地がある。映画の中でも、服装は必ずしもピンクではなく、世界観に合った青や黄色の服もあった。いろんな体型のバービーがいたし、いろんな人種もいた(東アジア系は目立つところにはケンしか見当たらなかったけど)。作品を観ただけではわからないが、トランスジェンダー女性の役者が演じるバービーもいた。でもそれは男女二元論の世界だし、たとえば真っ黒い服が好きな人や、バービーにもケンにもアランにも自分を重ねられない人には、居場所があるようには感じられないかもしれない。
こうした包摂性や男女の二項対立構造に目を向けると、ユートピアだったはずの世界がとたんにディストピアに見えてくる。この映画はそういう話ではあるが、私はどこかフィクションの中に"完璧なユートピア"を探し求めている節があるのだと思う。そんな世界があるとしたら、そこは何色だろうか。
怒りと連帯を巡るBrosとDIVA ZINEの話
物心ついた頃から、私はわりと常に何かに対して怒っていた。「お姉ちゃんなんだから」「女の子なんだから」と言われること、学校の授業の質が散々なこと、学び方を規定されること、大人に何かを指摘してもまともに取り合ってもらえないこと。その怒りは理不尽な社会構造の中で生まれていることを頭でわかってはいなくても、「怒りっぽい」「怖い」とラベルを貼られることには違和感があり、納得していなかった。
『Bros(原題)』の主人公ボビーは、いつでもどこでもデフォルトで世の中への批判や皮肉をまくし立て、初対面の人に「怒ってるの?」と訊かれるほど常に不機嫌そうな顔をしている。好きな映画の話で『ハングオーバー!』を挙げられれば「2009年の作品なのにホモフォビックなセリフがある」とすかさず指摘。自分の伝記映画を撮るなら「ベネディクト・カンバーバッチの出世の手段にしてほしい」と宣う。ゲイ男性として若い頃からさまざまな困難と向き合う中で、怒りがキャリアへの原動力になってきたのだろう。属性は違えど、声高に主張することを厭わない彼の姿に、私はとても勇気づけられた。一方で、見た目や"男らしさ"に自信が持てないために時に卑屈になる彼のキャラクターを「ひねくれすぎ」「こじらせすぎ」と嫌うコメントもちょくちょく見た。これくらいの卑屈さなんて、多かれ少なかれ誰でも持ってるものじゃないの?と思っていた私は、そうしたコメントに傷つき、ますますボビーへの共感を深めた。
この映画が大好きなのは、そんなボビーでも基本的には自分にプライドを持ち、(皮肉屋なので)「幸せだ」とは言えないまでも独身の自分の生き方にある程度満足している自立した大人として描かれていることだ。中盤、いい感じに距離が縮まったアーロンに「君は知り合いの誰より自信のある人だ」と言われたボビーは、「自信なんて必要に迫られて選び取るだけのものだ」と言い切る。たしかに、信念を持って怒り続ける人生はキツい。自分が間違えることだってあるし、日和見主義者からは距離を置かれるし、怒ってばっかりとレッテルを貼られる。けれどそれを辞めるという選択肢は、ボビーや私のような性格・立場の人間にはないのだ。
怒りとコンプレックスに溺れるあまり周囲に失礼な態度をとってしまったボビーは終盤、謝って許しを乞う。しかしそれは、怒ることをやめるという意味ではない。怒りを建設的な推進力にし続けるために、優しさやリスペクトも忘れずにいようということだ。
アーロンはボビーとは真逆の筋トレに明け暮れ、細かいことは気にしないようなタイプながら、ボビーの自信や挑戦的な生き方に刺激を受け惹かれていく。こんな理解者で、ついでにハンサムでコンプレックスを刺激される相手なんて、ラブコメ的には夢のような存在だ。だからこそ、ラブコメとしてのこの映画にはアーロンが必要だ。けれどもしアーロンとうまくいかなかったとしても、優しさとリスペクトの重みを覚えたボビーは、なんとか楽しくやっていけるんじゃないかと思える。
と、完全に従来の"ラブコメ主人公"像にボビーを当てはめて共感している私だが、そこにはどうしようもない罪悪感が付きまとう。私は(今のところ)まぎれもなくシスヘテロ女性で、ボビーはシスゲイ男性だからだ。ボビーを演じこの作品の脚本も書いたビリー・アイクナーは、「いろんなマイノリティが共感できるのは素晴らしいこと」といった趣旨の発言をしてはいたが、それは主にクィアコミュニティを指していた。私が女性として、あるいは欧米から見たアジア人としてのマイノリティ性をもってボビーの怒りや苦悩に共感することは、何かの簒奪にならないだろうか、どんな意味を持つのだろうか。
この問いには正直、白黒はっきり付けられるような答えは出ないと思っている。マイノリティ性、当事者性に線引きをして「ここまでに当てはまる人は共感してOKです!」なんてビリーや誰かが許可してくれるわけではない。たとえばフェミニズムをテーマに持つ映画について男性が語るとき、その語り口に違和感を持つことはある。語る資格がないなんて思わないが、イラつくときはイラつくし、そうならないときはならない。シス男性でなかったら? ヘテロでなかったら? 経済的弱者だったら? 障害を持つ人だったら? その印象は変わるかもしれないし、変わらないかもしれない。フェミニズムといっても、それがどんな人の物語なのかによって、私の当事者性度合いだって変わる。立場によって言うことに意味が加わるのは当然だし、自分のマジョリティ性は自分で引き受けるしかないのだ。
劇中、「ストレートの人たちも楽しめるようなラブコメを作ってほしいってプロデューサーに言われたんだ」などとメタ的なボビーのセリフがあったが、そんな皮肉を存分に込めながら、実際にラブコメの王道を一瞬の迷いもなくなぞったこの作品はストレートの人たちも十分に楽しめるつくりになっていると思う。しかし同時に本作はしつこく何度も"普遍的な愛"を否定し、その差異を忘れてはならないと釘を刺す。異なる属性の人々が獲得する共感は美しいが、それはその違いを"越え"あるいは"関係なく"得られるから美しいのではない。常にお互い違いに自覚的だからこそ美しくなり得るのだ。
そんなことを考えているときに、「ゲイ男性としてディーヴァを愛することについて」(『MY STORY WITH DIVA』、2024)という文章に出会った。この中でカツヤさんは、「ただ彼女(ディーヴァ)たちの傷や回復、そして自己肯定に自己投影するのみでよいのか」と投げかける。「家父長制社会において、私たちゲイ男性は被害者であり、同時にその恩恵も受けている。~中略〜決して被害者の一面のみをアイデンティティにするのではなく、自分の持つ特権性や加害性を意識し、フェミニズムと共闘していく必要があるのだと強く感じます」。映画『バービー』のクィアに見える男性キャラ・アランについての記事から気づきを得たというカツヤさんは、文章をそう締め括る。これを読んだ私は、誰かに答えや許可をもらう代わりに、「こっち側はこっち側で考えてますよ、お互い考え続けましょう」と道の向かい側から目配せしてもらえたような気分だった。
もっとも、ディーヴァを愛するゲイ男性と私は完全に対の存在ではない。ラブコメ好きの怒れる個人として今のところ最も共感したキャラクターが、たまたまゲイ男性だったというだけだ。しかしそれもどこか傲慢だなと思うし、ヘテロの恋愛を描いた映画とまったく同じ心持ちで観ているかというと違うし、その差異は無視できない。何にしても、もっと魅力的な怒れる男性以外のキャラにもたくさん出会いたいし、スティグマをなくしてほしい。私は私で考え続け、アクションにつなげたい。
※Brosは海外版を入手して観て、友人たちに観せるために素人ながら日本語字幕も作成しました。観る手段をお持ちで、下手くそでもいいから日本語字幕がほしいよ!という方は、srtファイルでよければ差し上げますのでご連絡ください!それか、観たいなと思ったら、ぜひ映画館や配給会社にリクエストしてください!
2023年に観た(ほぼ)新作ラブコメ22本の感想まとめ
1. Shotgun Wedding(ショットガン・ウェディング)
JLo×ジョシュ・デュアメル。ぜんぶスベってた。レニー・クラヴィッツやらジェニファー・クーリッジやらダーシー・カーデンやら連れてきて面白くなると思ってやっただろうことぜんぶスベってた。ブラジル人のソニア・ブラガにヒスパニック母やらせるのももうどうなんだろう。
ライアン・レイノルズが主演予定だったと読んで、それならまだ納得したと思うけど、どちらにしろスベってた。彼にしてもジョシュにしてもジョシュの前に主演予定だったアーミー・ハマーにしても、JLoとのケミストリーがまるでない。マリーミーのときのオーウェン・ウィルソンもだけど、JLoと合わせるキャスティングのセンスが皆まるでない。フィリピンという設定のエキゾチックな使い方(ロケはドミニカ)ももういい加減にしたらという感じ。
2. Hanukkah On Rye(原題)
ユダヤ系ホリデーラブコメはまだ珍しいのでは。リサ・ローブが出てるというので観たけど、彼女のハヌカソングがわりとテキトーだった。笑
スーパーガールのジェレミー・ジョーダンとジェーン・ザ・ヴァージンのヤエル・グロブグラスだから可愛いし安定感はあるけれど、家父長制がすぎる。おばあちゃんに一家のlegacyを絶やさぬようにと勝手にお見合い登録されるって、legacyとか関係ないし古い世代のせいにしてそういう価値観の温存にラブコメを一役買わせるのいい加減にしてほしい。主人公たちは嫌がってるから現代的な価値観はわかってますじゃないんだよ。言うこと聞く義理はない。個人が身近な高齢者に対してもう価値観を変えることはできないと諦めるのと、それを他者にもそういうもんだよと諦めを諭したりエンタメで表象するのは違う。誰しも歳と共に頭が固くなるのかもしれないけど、私はそれを軽蔑するのをやめないし自分もそうなったら諦めずちゃんと軽蔑してほしい。
ご近所さんだからって出会い頭に携帯番号教えないし、タダで仕事手伝わないし、死んだひいじいちゃんばあちゃんのためにお墓参り行くとか、何か人に伝言するとかならまだしも、国の反対側の彼らの思い出の地に店開くとかしないでしょう。どんだけ先祖偉いんだ。
お見合い業者が2人を会わせる前に手紙でやりとりさせる時代逆行版You Got Mailなんだけど、これも片方が先に相手の正体に気づいたのにしばらく言わないパターンで、でも相手がそこをちゃんと怒ってくれたのはよかった。あと食べ物がちゃんと美味しそうなのも。
3. Your Place or Mine(ユアプレイス、マイプレイス)
リース・ウィザースプーンとアシュトン・カッチャーというビッグネームで何かこれまでと違うことをしようと思ったのだろうが、ハウススワップをしている間にお互いの好意に気づくという、最後までほとんど2人一緒のシーンがないプロットは、=遠隔でケミストリー発揮するしかないめちゃくちゃ高度なやつだ。しかしこの作品にそんな高度さはなく、ネームバリューだけのやる気のないやつだった。実況したくなっちゃう=ツッコまないと観てらんないってことだからな。
アメリカ作品、「俺たち最高の親友!」と親友関係を言葉で説明し過ぎ問題。あと"We tell each other everything"と言わせるのが好きだがだいたい隠し事してる。
ゾーイ・チャオ、スティーヴ・ザーン、ティグ・ノタロという豪華キャストを主人公カップルを応援するためだけのキャラに無駄遣いし、メガネをかけたジェシー・ウィリアムズという最強カードを当て馬にする無駄な贅沢さ。ありがとうございました。
4. At Midnight(原題)
トップガンのモニカ・バルバロがヒーローモノに出てる女優役で、ロケ先のメキシコのホテルスタッフと恋に落ちる。スターと一般人の組み合わせって何本作ったら気が済むんだ笑 俳優は魅力的でスペイン語が多いのはいいけど話は雑で説得力なく、露骨なノッティングヒルオマージュもひどかった。
5. Somebody I used to know(彼女の面影)
デイヴ・フランコ監督、アリソン・ブリー主演のアマプラオリジナル。主人公は地元に戻ったら元彼といい感じになったのに、元彼は結婚直前で、結婚式に押しかけてぶち壊そうとする。
『コミカレ』や『アフターパーティー』組も出ているのは嬉しいが、ぬるぬるとした内輪感があり、共感性羞恥地獄で笑えないし想像の範囲を超えようとしないので、Third Eye Blindを歌うシーンやリアリティ・バイツのポスターが部屋にあるといった私にとっては嬉しいはずの要素もスベっている。
仕事と恋愛のバランスの話を誠実にやるのはいいが、そのくせ主人公がした失敗の落とし前はつけず、元彼の婚約者のバイセクシャル設定も話のオチにしようとしている感が否めない。なぜかヌーディストの話で違いを出そうとする。
6. OMG! รักจังวะ..ผิดจังหวะ(OMG! オー・マイ・ガール/オー・マイ・ガール ~なんで今なの!?)
初の大阪アジアン映画祭にて。現在Netflix配信。お互い相手の様子を伺ってるうちにタイミング逃しちゃって、相手いる時も思わせぶりだったりする本当によくある恋愛の話。なんだけどちょいちょい笑わせてくるので恥ずかしすぎず、全然こういうの好みなのでテンポ悪くても楽しめた。会場はよく笑ってたのはよかったが、個人の経験と重ねるとやばいので考えないように必死だった。元BNKのPleanpichaya Komalarajunめちゃ可愛かった。
7. Rye Lane(ライ・レーン)
定番の「失恋したばかりの2人が出会う」スタート。サウスロンドン版ビフォアシリーズといった趣で、街への愛に溢れててテンポ良くてカラフルで可愛い。男性側のすぐメソメソしちゃうキャラは、『マイ・エレメント』と通じるトレンドかも。ロンドン×ラブコメと言えばこの人!!な特大カメオもあり。懐かしのダニエル・べディングフィールドの使い方も◎。
8. What's Love Got to Do with It?(きっと、それは愛じゃない)
リリー・ジェームズ演じるドキュメンタリー作家が、お見合い結婚するパキスタン系の幼なじみを撮る。いろんな結婚観を包括するように見せかけて、完全に西洋の物差しから否定してるだけ。自ら進んでお見合い結婚しようという人と相手がいるのに家族に認められず渋々受け入れる人と、家族が認めない相手と結婚して勘当された人、ぜんぶ一緒に語る雑さ。気軽な出会いを楽しみたい人も皆敵に回してる。
よかったのは主人公の実家の壁紙だけ。結婚式の衣装とかもきれいだったけど、エマ・トンプソン演じる主人公の母がアホ丸出し白人みたいでそれどころではなかった。やる気ないラブコメは異文化をテキトーにエキゾチック要素に使うのやめろ。
9. A Tourist's Guide to Love(ツーリスト・ガイド・トゥ・ラブ 恋のツアーガイド)
このレビューがぜんぶ言いたいこと言ってくれた。解散。
https://www.pastemagazine.com/movies/romantic-comedies/a-tourists-guide-to-love-review
10. Ghosted(ゴーステッド Ghosted)
クリエヴァとアナ・デ・アルマス by Apple TV Plus。期待はしてなかったけどやっぱりキャスト人気に頼りきってて終始無だった。ケミストリー全くないのを「2人のsexual tensionがすごい」と周囲にさんざん言わせて無理やり補うな。そして選曲センスが絶望的にない。
11. 緣路⼭旮旯(縁路はるばる/Far Far Away)
香港版『モテキ』のような立て付けで、主人公は僻地に住む女性たちと会うためにひたすら移動する。現代香港の住宅事情・社会状況を垣間見る珍しい作品として評価している方が多かったが、こんなにラブコメの形を借りるならラブコメもちゃんとやれ!と言いたい。テンポや雰囲気は嫌いではなかったが、グルメ情報アプリを使った演出や僻地への移動に忙しく、それぞれの人物や街の魅力はほとんど見せてくれないのだ。
主人公は害が無く収入が安定してそうなだけ、周りもかなり普通の人だし、相手を好きになる理由が結局可愛さとかタイミングだけで、それがかえってリアルすぎる。いろんな女性とのちょっとしたやりとりとかは可愛かったりするが、もうちょっとだけクセの強さとか理想主義的な部分とかがほしいのだ。ラブコメにはロマンが必要だ。
でも男性の側からしたら、普通の男がいろんな可愛い子といい感じになるっていうのはロマンがあるのだと思う。
12. Elemental(マイ・エレメント)
火の種族と水の種族が恋に落ちるれっきとしたラブコメ。デートシーンがちゃんと素敵で『高慢と偏見』への目配せもあったが、キャラデザや世界観にオリジナリティを感じるかというとそんなでもなく。何より私はこれだけ世の中の状況が緊迫してる中で人種を元素になぞらえるというメタファーは問題をフワッとさせてるように感じてうまいと思えない。火の種族がいろんな人種のマイノリティ性を一手に背負ってる感じだったのも嫌だったし、火と水以外の種族が手薄すぎたし、火とか水とか雲とかせっかく自由にできそうなキャラなのに性別や家父長制を当てはめないといけなくなるのはかえって窮屈すぎる。ディズニー初?ピクサー初?のノンバイナリーキャラもこんな世界観でほとんどわからないように出してきて、誇られてもシラケるだけ。それを嬉しく思う人や当事者として演じてくれた声優さんは何も悪くないが。
一番嫌だったのはお母さんが匂いや占いで愛を診断するシーン。ラブコメあるあるだけど、人から運命を押し付けないでほしい。匂いで嗅ぎ分けるとかキモいし。
収穫は、ウェイド役のママドゥ・アーチェイを知れたこと。めちゃくちゃ白人特権丸出しみたいな役だったのに黒人俳優さんだったのは全っ然わからなかった。英語圏でもけっこう皆分かってなかったみたい。『パティ・ケイク$』でもロマンスの相手だった人。泣きっぷりがよくて、主演ドラマも観てみたらめっちゃ面白かった。ラブコメ界有望株きた。
アンバー役のリア・ルイスもカッコよかった。
13. Red, White and Royal Blue(赤と白とロイヤルブルー)
イギリスの王子とアメリカの大統領の息子の恋。2人のケミストリーは思ったよりあって、嫌な奴って感じから距離縮めてくのはすごく良かったけど、演出が下手というか、安っぽいネトフリオリジナル感は否めず、テイラー・ザハール・ペレスの演技が気になってしまった。でもあとから感想見てたら、逆にニコラス・ガリツィンの演技がシリアスすぎたのではって気もしてきた。パーティーでGet Lowが流れてみんな低い姿勢になって、その瞬間立ってた2人が見つめ合っちゃうシーンが好き。こういうアイデアを目的なく貯めておきたい。
結局権力に甘いというか、ちょっと反体制的な考えの片鱗を見せるだけでその辺は設定のまんまつまんない感じに留まってしまっており、原作の評判を聞くとけっこう違いそうなのでもったいなく感じた。『クレイジー・リッチ!』みたいに豪華絢爛さだけうまく利用して圧倒(という方向性)、みたいなこともなく。ほんともっと色々できたのではという気持ち。あと七並べってほどではないけどやっぱりやるよね脇役同士無意味にくっつけるやつ。
そうそう、宮殿の外に集まった群衆とレインボーフラッグをちゃんと映さなかったのなんでだよ!!て思ったけど予算の問題か??CGなのか??
14. Love at First Sight(カレとカノジョの確率)
ヘテロ規範、ロマンティックラブイデオロギーの押し付け、つまらないクリシェのオンパレード。それがなくても可愛いラブコメは作れることをいい加減わかってほしい。たぶん8割型の人は可愛かった〜で済むんだろうなというのも含めて失望した。
たまたま同じフライトで隣になるとか、共通の知り合いがいたとか、それくらいは映画だからというエクスキューズでやればいい。でも出会ったばかりの女性が怖がっていきなり手を繋いでくるのも、男が冗談めかして浮ついた言葉遣いばかりするのも、距離を縮める近道なんだろうけど、美男美女の映画だから成り立つ、とかじゃなくてもうドン引き要素でしかない。トンチキじゃなくて地に足付いたドラマやりたいなら現実に即してほしい。
お父さんの再婚とか、ガン末期のお母さんの夫婦愛とか、ほかの人の愛に美を見出す流れも嫌いなものすぎた。だいたいラブコメはメイン2人以外は薄くしか描く気ないものがほとんどなのに、サブキャラを安易に重病にしたり死なせたりするな。悲しい話を利用してるようにしか見えん。
ヘイリー・ルー・リチャードソンにいつまでも20そこそこの役をやらせるのをやめてほしい。大人ばかりで学園モノをやるのとは違う。彼女の雰囲気に幼さとか可愛らしさを見出したいからっていうのが見え見えで。エル・ファニングと似た危うい方向性を感じる。ジャミーラ・ジャミルがどこにでも現れる語り手になってるのも、何も面白味を持たせられないならそんなクリシェいらない。
極めつけは最後の語り。男のキャラのほうが何かと統計を語るキャラなのはいいけど、2人は最期の日まで手を取り合って愛する子どもと共に暮らしました、それまでに◯回キスをし、◯回喧嘩をし、◯回セックスをし…てキモいんだよ!
15. 우리 사랑이 향기로 남을 때(私たちの愛が香りとして残る時/Love My Scent)
コリアンシネマウィークにて。謎の男にもらった香水を使ったら、通勤のバスで一目惚れしてた相手に好かれ…。色々キツい話で全く面白くなかったし、そういうキツいところの一部を最後にちょっと種明かしすることで巻き返そうとするのもかえってだめだった。ロックと民謡を融合したような主題歌がめちゃカッコよかった。
16. Exmas
レイトン・ミースターが元婚約者のロビー・アメルの家族と仲良しすぎて家族を巡ってバトルが勃発する。息子が帰省できないとわかったからってその元婚約者を呼んじゃう家族は嫌だ。無理やりのおせっかいみたいなシーンはなかったけどそれでもウザかったし、妹が彼女と実は別れてたことを言えずにバレたときになぜか"期待に添えなくてごめん"と親に謝るのがこの家族のヤバさを表してるようでキツかった。
ドタバタ感半端で展開も全然面白くなかったけど、また脇役の妹がレズビアンか〜とか思ってたらまさかのその妹主人公のスピンオフ始まりそうな仄めかしあり!しかし仄めかしで終わったら怒るぞ。
17. What Happens Later(原題)
メグ・ライアン監督・主演×デヴィッド・ドゥカヴニー共演ということで、予告編からかなりの安っぽさは予想しつつでも期待してしまっていたけど、ダサすぎて全然ダメだった…。考えてみれば私はメグ・ライアンの出てるラブコメで好きなものがない。空港というワンシチュエーションはものすごく高度なのに、2人になぜかずっと話しかけてくる空港のアナウンス、ありがちな訳アリの別れた理由、アラニスやThird Eye Blindのカバー曲とそれへのツッコミ、すべて安いし、どっちの人物も魅力なし。演技力どこいった。
18. The Flatshare(同居のルール)
広い1人の空間がほしいけど金欠のライターのティファニー(ジェシカ・ブラウン・フィンドレイ)と、ホスピスの夜勤でワケあってお金が必要なレオン(アンソニー・ウェルシュ)が1人用のフラットを実質タイムシェアする話。ラブコメと謳ってたから観たけど、設定から社会格差深刻でどんより。レオンの彼女が色々口出ししてきてうざいんだけど、彼氏が知らない女とベッドまでシェアしてたらそりゃ嫌だよな…。
ティファニーの親友役はリトル・マーメイドのジョナ・ハウアー=キング。
主人公がウェブメディアで働いてるラブコメは多くて、今回も下世話なバズり重視系のやつで、そんなんでそもそもビジネスモデルに無理があるんだよとしか思えない…倫理感のない編集者はやめちまえ。
ホスピスって時点で嫌な予感したけどこれも病気の子どもをキューピッドにするタイプ。ラブコメたいてい主人公以外は盛り立て役なんだから掘り下げられないなら困難な状況背負わせて利用しないでほしい。
一番嫌いなほかの人の関係にまでおせっかいして"先輩たちの愛は美しい"ってやるやつだったし、住宅事情やら人種差別やらモラハラ男やらメディアの腐敗やら色々小出しにしておいて、何も真剣にはやらず問題提起する気があるわけじゃない。
ジェシカのメイクやファッションが毎回一クセあって楽しかった。音楽も評判良かったけど私の好きなタイプではない新しいのばかり。ポストイットの使い方はグレアナより下手。
19. Dramaworld(ドラマワールド)S2
韓国ドラマ大好きアメリカ人のクレアがドラマの世界に入ってしまう、だいぶ前にS1をNetflixで観たやつ。ジャスティン・チョン、ダニエル・デイ・キム、イ・ジョンジェ(どこで出てきたかすぐわからなかったが)とキャスト豪華!しかも前シーズンはたしか恋愛ドラマだけだったのが、今度はマフィアモノやヴァンパイア×人虎ドラマの世界まで!
雰囲気はチープだけど、いつも報われない当て馬同士で結託したり、違う作品の世界に離れ離れになったけどフラッシュバックシーンで再会できたり、主役男性は必ずシャワー浴びる時間があったり(?!)、色々とメタ的構造を生かしてて面白かった。
愛について語ろうとするのは正直ウザかったけど、クリフハンガーで終わったので続きもやってほしい。と思ったけどやらないのかな?!
20. The Great(THE GREAT ~エカチェリーナの時々真実の物語~)S3
政治的に相反する主人公2人の関係に終始ハラハラドキドキさせながら、周りの人物も皆良いところ悪いところ含めて魅力的に描く最高のドラマ。皆大活躍だし新キャラも良いし、衣装も引き続き絶好調で大満足だった。。。。のに!!!キャンセルとは!!!日本国内でどの配信サービスからも消え去っているとは!!!!!!!!!
21. Starstruck(原題)S3
NZ出身ローズ・マタフェオ脚本・主演、ふつうの人の主人公が、ドラマ版フォー・ウェディングのニケシュ・パテル演じる大物俳優とくっついたり別れたりを繰り返すスクリューボール・コメディ。S2からかなりつまらなくなっていたけど、お仕事ドラマでもなく、大きなイベントがあるわけでもない恋愛だけの話をどうやって続けるのか気になって観てしまった。やっぱり仕事をほとんどやらないとすると友達の結婚とか妊娠とかでイベント作るしかないのか。そして新顔登場!もうこっちの人にしなよめっちゃお茶目でいい人だしスターとは世界が違うよ!とずっと思いながら観てた。別れても密かに愛されてるとか、すぐ次の相手が見つかりその人も超根気強いとか、主人公に都合良すぎる。
22. Our Flag Means Death(海賊になった貴族)S2
シーズン2も、"海賊"であることの意味を皆で再定義していって、かっこいい女も優しい男もクィアロマンスもいっぱい出てきて最高だった。もうずっと皆の感情が色々デカくてこれぞドラマの醍醐味という感じ。ただ話のペースが早すぎたのと、イジーが可哀想すぎた。コン・オニールの表情こんなに良かったっけ…。きれいに終わったのはそうだけど、いつまでも続きは観てられただろうからキャンセルは残念。
About my rom-com zine “Watch Talk Love"/ラブコメZINE『Watch Talk Love』を発行しました

何かと「これくらいがちょうどいい」とか「頭空っぽにして楽しめる」とか言われがちなラブコメですが、未だに思いっきり有害な保守的規範を恥ずかしげもなく押し付けてくるようなものや、お決まりの型に沿って作れば何とかそれっぽくなるだろうと期待の低さに胡座をかいたものばっかりじゃないか、と違和感を持ち始めて数年。でも同時にそうした傾向に抗う作品も出てくるようになりました。
あまりメディアで取り上げられない作品も拾いながら、「これくらいでいい」などと言われずに同じテンションでラブコメの話がしたい。せっかくなら、それを記録に残したい。そう思って作ったのがこのZINEです。まっくるさんとまどりさんにお願いして、おしゃべりに付き合っていただき、さらに別途文章も書いていただきました。本当にありがとうございます!!
このZINEの売上から経費(印刷費・送料・書店EC手数料)を引いた残りは、CALL4を通じて「結婚の自由をすべての人に訴訟(同性婚訴訟)」に寄付します。私は男女の経済的格差を正当化する結婚制度には長期的にみて反対の立場ですが、まずは同性婚の実現が平等への第一歩だと思っています。結婚が究極の幸せかのように描かれるラブコメが減ることが大事なのと同様に、異性カップルと同じように結婚というオプションが当たり前にある中で結婚について悩んだり、結婚して幸せになったりまた悩んだりする同性カップルや、ノンバイナリーの人を含むカップルが描かれるラブコメがたくさん増えることも大事です。
寄付状況についてはこちらのサイトでご報告します。ある程度まとまった売上が上がり次第随時寄付します。
がんばって販売していきますので気長に見守っていただければ幸いです。
電子版(PDF)はSUZURIで、紙版はメルカリで購入いただけます。どちらも匿名購入ができます。本体価格は同じですが、送料の分電子版のほうが安くなっています。印刷費がないため一冊あたり寄付にまわる金額は電子版のほうが大きいですが、最初にある程度まとめて印刷をかけるのと、印刷を想定した作りになっているので紙版をご購入いただけるのも嬉しいです。追ってイベントや書店での販売もしていきます。
2023年4月発行
A5 P40
Publisher: MN
Contributor: Madori, Macle
電子版(SUZURI)/紙版(メルカリ)※5/11-17頃発送予定

目次 Index
主な配信スルー/オリジナル作品年表
相手と関係を構築していく“過程”が観たい / Netflixの青春ラブコメ代表作 / 大学進学問題 / 悪事の落とし前 / スマホ=悪じゃない!/ アジア系スターが熱い! / チーム対抗 / リスペクト?言い訳? / クィア表象と恋愛至上主義 / Netflixのインクルージョン後退の懸念
話しきれなかった最近のオススメ
オリジナルサントラを聴く
➳高慢と偏見と対比
ジェーン・オースティンの小説『高慢と偏見』(1813年)映像翻案作品20本(1940〜2022年)の特徴を比較
➳ラブコメについての読み物
➳ラブコメーターをつけてみよう
今年4-12月に観た(ほぼ)新作ラブコメ27本の感想まとめ
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Sempre più bello(ずっと、欲ばりなだけの恋じゃなくて)
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The Lost City(ザ・ロストシティ)
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The Valet(スターは駐車係に恋をする)
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Fire Island(ファイアー・アイランド)
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My Fake Boyfriend(ニセモノ彼氏)
6. 恋は光