Coffee and Contemplation

海外ドラマや映画、使われている音楽のことなど。日本未公開作品も。

ジェイミー・ドーナンの天然キャラがハマり役、隠れたWTF案件『Wild Mountain Thyme』

予告編が公開されるやいなや、エミリー・ブラントジェイミー・ドーナンのオーバーなアイリッシュアクセントがバカにされ、いかにもアメリカ人から見たステレオタイプアイルランドの設定とベタそうなストーリーで早くもネタ化していた『Wild Mountain Thyme』。しかし、本編はそんなレベルじゃなかった。

 

 

舞台はアイルランドの田舎の農場。ローズマリーエミリー・ブラント)は隣の農場に住む幼馴染のアンソニージェイミー・ドーナン)に想いを寄せていたが、アンソニーローズマリーのことが嫌いではなさそうなものの、なぜか避けている。アンソニーの父トニー(クリストファー・ウォーケン)はそんな調子で結婚する気配のない息子より、家族を持つ気のあるアメリカ人の甥アダム(ジョン・ハム)に農場を継がせると言い出す。農場の下見を兼ねてトニーの誕生日パーティーアメリカから来たアダムはローズマリーのことが気に入ったようで…というのがあらすじ。

 

※ここから先はこの作品のどこがすごいのかを語るのだが、たぶんどこがすごいかなんてことを知ってしまうと意外性が半減するので(ネタバレはしないけど、あそこがすごいのか!と思いながら観るのと何も知らないで観るのとは衝撃が違うと思うので)それでも読んでくれる方だけどうぞ。

 

どこをどう切り取ってもベタベタのベタなストーリーなのだが、観始めるとどうも思ったよりかなりコメディの気配を感じる。最初からラブコメだと言ってしまっている媒体もあったのだが、多くはロマンスモノ、という感じの紹介だったので、ここまで笑えるとは想像していなかった。何より、登場人物たちがいたって真顔なのだ。真顔なのに、ジェイミー・ドーナン一挙手一投足が面白可笑しい。常に困った表情で、金属探知機を持ってウロウロしているか、コケているか、雨に濡れている。ステレオタイプアイルランド人を俯瞰して見ているアダムだけは、鑑賞者に近い立場かもしれない。

 

クリステン・ウィッグ&アニー・マモローの爆笑コメディ『Barb and Star Go to Vista Del Mar』にも出ていたジェイミー・ドーナンだが、そちらではこの真顔がこわばった感じに見えてしまって、天然キャラっぽい良さも出てはいたものの、アメリカンなコメディにまだ慣れずはっちゃけきれていないように感じた。しかし、こちらでは完全にそれが機能している。ドジでド田舎者で何を考えているか分からない真顔の天然キャラを完成させたのだ。

 

 

しかし、この作品がすごいのは、単に思ったより笑えたから、ではない。最大の分岐点は、終盤、何を考えているか分からないアンソニーローズマリーに「何を考えていたか告白する」場面にある。私はさらに爆笑してしまったが、ポカンとあっけにとられる人もいるかもしれない。そんな爆弾を、この作品は真顔で落としてくる。後から振り返ると序盤からそこかしこに伏線はあるのだが、だからといってこの展開を予想できる人はまずいないと言っていい。

 

後から知ったが、これは舞台作品をその作者自らメガホンを取って映画化したもので、監督のジョン・パトリック・シャンリィはトニー賞ピューリッツァー賞も受賞している実力者らしい。The Irish Timesは舞台の方をこき下ろしていたが、この記事によると衝撃のシーンは原作から変わっていない。アメリカのメディアでは概ね好評だったようだが、劇場では一体どんな反応だったのか、こんな展開でも演劇なら真面目に捉えられるのか爆笑の渦だったのか、気になってしょうがない。

 

実話殺人事件モノの新たな道筋を示した『The Investigation』

実際に起きた殺人事件を題材にした作品を観るのがやめられない。ここ最近だけでもデヴィッド・テナントが連続殺人犯を演じた『Des(デス)』、『White House Farm(ホワイトハウス・ファームの惨劇~バンバー家殺人事件~)』、ルーク・エヴァンス×キース・アレンの『The Pembrokeshire Murders』(以上すべて英ITV)を観た。ちょっと前で言えばデヴィッド・フィンチャーNetflixシリーズ『Mindhunter(マインドハンター)』(実際の事件というよりは実在の連続殺人犯が出てくる)やザック・エフロン主演映画『Extremely Wicked, Shockingly Evil and Vile(テッド・バンディ)』、『El Angel(永遠に僕のもの)』もある。

 

なぜそんなにこの手の作品に惹かれてしまうのか。有名な事件だとモノによっては結末を知っていることもあるが、実話と分かっているからこその緊張感と説得力がやはり何より勝るし、皆作りがしっかりしていてうまいのだと思う(『テッド・バンディ』はそうでもなかった)。

 

「やめられない」とか「惹かれてしまう」と書いているのは、実在の悲惨な事件をエンタメとして消費することへの罪悪感が拭えないからだ。どの作品も、被害者への追悼や当時のずさんな捜査への批判、逆に懸命な捜査への称賛、犯罪者心理の解析といった大義名分はあっても、商業作品として世に出している限りやはり事件をセンセーショナルに描いてひと稼ぎしたいんだろうという批判からは逃れられない。何より自分が遺族だったらと考えると、どんな理由があっても事件のことをエンタメになどされたくない。ただでさえ実話のフィクション化はセンシティブになるべきことがいっぱいあるのに、殺人事件なんて一歩間違えば実在の人物を傷付けてしまうことだらけだろう。

 

デンマークのドラマ『The Investigation(インベスティゲーション)』(3月スターチャンネルEX配信)は、そんな中でひときわ異彩を放っていた。デンマークの発明家を取材しにきたスウェーデンの女性ジャーナリストの切断遺体が海から発見された2017年の“潜水艇事件”。タイトルの通りひたすら地道な捜査を描くのだが、最大の特徴は容疑者の顔も声も、名前すら一切登場しない点だ。

 

 

これまで挙げたほかのドラマは、どれも容疑者役俳優の迫真のサイコパス演技が一番の見どころだった。それがこの作品では、取り調べを担当したコペンハーゲン警察の主人公の部下たちの報告という伝聞でしか容疑者の言葉を聞く機会はない。初めての展開だったので、全6話中3話目くらいまではまだ「もったいぶってこのあと大々的に登場するんじゃないの?」と思っていた。極力センセーショナルさを抑えるという点で、これはとても大胆な決断だったと思う。

 

さらに、やっと容疑者を殺人で起訴することができ、いよいよ裁判かと思えば、法廷シーンはすっ飛ばされる。検事役のピルー・アスベック(『Game Of Thrones(ゲーム・オブ・スローンズ)』)の活躍を観たい人には残念だが、このドラマのメインはあくまで捜査なのだ。

 

監督・脚本のトビアス・リンホルムは、マッツ・ミケルセン主演の『Another Round(Druk)』の脚本を手がけ、前述の『マインドハンター』にも関わっている売れっ子だ。彼は今回主人公となったイェンス・ムュラー元捜査主任に別のテロ事件について話を聞きに行ったが、潜水艇事件の捜査での科学者やダイバーの活躍や被害者キム・ウォールの両親との友情について聞き、事件当時のマスコミの容疑者のことばかり扱った過激な報道とは違うアプローチで伝えられる物語があると考えたという。

 
I wanted to tell a story about Jens, Kim’s parents and the humanity of it all. A story where we didn’t even need to name the perpetrator. The story was simply not about him.
 

 

キム・ウォールの両親イングリッドとホアキムにも実際に会ったそうで、このドラマは彼らの協力で作られているということが一番の安心要素でもある。制作にあたっての彼らの唯一の要求は、彼らの飼い犬Iso役を本物のIsoが務めることだったらしい。潜水艇を海底から引き上げるシーンでは実際にその時使われた船を使い、当時の実際のクルーとダイバーが出演したという。

 

個人的には今のご時世警察の努力よりは故人の生前の活躍を伝えてくれる作品を観たいが(なので『Once Upon a Time in Hollywood(ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッド)』は好きだった)、最後にイングリッドとホアキムが娘の名前で女性ジャーナリストを育成するための基金を創設したことが描かれていたのは良かった。このドラマは4人に1人のデンマーク人が視聴し、マスコミも容疑者でなく、ジャーナリストとしてのキムについて報道しだしたという。

 

センセーショナルなドキュメンタリーも毎年のように次々製作される中、『The Investigation』は実際の事件を扱うフィクション作品の一つの誠実なあり方を示したと思う。

Black LivesではなくAll Livesの話になっている『Soul(ソウルフル・ワールド)』

私は普段から面白くなかった作品には面白くないとズバズバ言う方だが、周りの9割9分くらいがあまりに絶賛している作品の良さが分からなかった時は多少弱腰になる。昨年は映画『The Half Of It(ハーフ・オブ・イット:面白いのはこれから)』(Netflix)がそれだった。いや別に嫌いというほどだったわけではなく、個人的ワーストは『Bad Boys for Life(バッドボーイズ フォー・ライフ)』だったが、あれはけっこうこき下ろしている人もいたので私も安心して心置きなくこき下ろしている。あとついでに言うがドラマ『Modern Love(モダン・ラブ)』も評価され過ぎだと思う。

 
 
印象的にハーフ・オブ・イットと同レベル、たぶん視聴者数も考慮するとそれ以上の高評価を得ている『Soul(ソウルフル・ワールド)』(Disney+)を観た直後の私の感想は、「そのメッセージで皆そんなに感動できるの…?」だった。トレント・レズナー&アティカス・ロスの音楽やニューヨークの街中の質感は素晴らしくはあったのだが、肉体から抜けた魂の青白いQooみたいな造形も生前の世界の管理人(?)「ジェリー」たちの抽象画みたいなデザインも単なる手抜きに見えたし、この作品の核となるのは「人は生きているだけでいいんだよ」とか「日常のささやかなことに喜びを見出そう」みたいなことだ。いやたぶん、すぐには思い出せないけどそういうメッセージを持っていて感動した作品は過去にはある。だが、というかだからこそ別に何も新しいことはないし、ささやかなことだけでは済まないから人は結婚とか出産とか大きな夢とかのイベントを求めるのではないか。この作品のメッセージがすんなり入ってこないのは、物語が夢とそれを叶えるための才能を既に持っているジョーという主人公でスタートしているからだ。
 
人生ってそれ自体が素晴らしい、みたいなことは、生きる目的を見失っている人や自分を追い詰めているような人に向かって言うことで、今まさに夢を叶えた人に言うことではない。ジョーはミュージシャンを志していることを母親に良く思われていなかったり、前のめりになっていて多少周りが見えていなかったりはするが、別にそれはそこまで悪いことだろうか。ライブが決まって浮足立ってマンホールに落っこちて死んでしまうのだって、不幸で悲しいという以外の何物でもなく、そこに叩き込む必要のあるメッセージなどない。
 
saebou先生のブログを読んでようやくスッキリしたのだが、ジョーみたいな人にこのメッセージを押し付けることは、社会性を押し付けることでもある。人生讃歌とはいえ何もしないでボーッとしていることが良しとされるわけではなく、周りの人とのコミュニケーションとかピザとか落ち葉とかを有り難がろうというのがこの映画の趣旨だからだ。ジョーが念願のライブを終え、「あれ、ずっとこの瞬間を待っていたのに、なんかピンとこないかも…」みたいになったときは、あまりに映画の結論ありきの不自然なリアクションのさせ方にズッコけた。長年ずっとジャズピアニストになりたかったんだから、そりゃステージに立てて嬉しいだろうししばらくは達成感でいっぱいだし、次にまたどんな演奏ができるか楽しみで仕方ないだろう。どこの誰がこんな反応をするというのだ。いやそういう人もいていいのだが、実は教える方が好きだったかも、とかいうならそこの揺れをもっと丁寧にやるべきで、別に迷っている人には見えなかったし、パフォーマーを続けながら教えることだってできなくはない。
 

 
saebou先生の「この作品はpro-lifeの人に好かれそう」という指摘もなるほどで、この「生まれる前の世界」への嫌悪感の大部分はそれか、と思った。私は人は好きで生まれてくるのでも準備して生まれてくるのでもなく、いきなり世界に放り出されたところを何とかして舵を取れるようにならざるを得ないものだと思っている。性格だって興味関心だってその後の環境でいろんな人の影響を受けて形成するものだろうに、生まれる前に博物館のカタログで選びました、なんて言われたら親や周りの人の出る幕がない。
 
もう一つ、指摘があまり見当たらないけど気になったのは、命の扱いの軽さだ(pro-lifeのくせに)。まあ死後の世界と生まれる前の世界が出てくるのだからそんなに死を大げさにすることもできないのは分かるが、急に死んでしまってさあ天国に行ってくださいと言われたら、「これからライブに出られるとこだったのに!」とかより何より、まず「いやまだ死にたくないんですけど!」と多数の人がなるんじゃないのだろうか。ジョー以外の人が皆何の抵抗もせず天国と思しき所に行こうとしているのは、どうしても気味が悪かったし不自然に感じた。ちょっと考えれば本来脱走者続出で天界大混乱、魂の勘定係過労死、というよりセキュリティガチガチの物騒な世界になるのが想像できる。まあそれを避けるために天界のキャラたちはあんなに仕事ができない感じにしたのだとは思うが。
 
ハーバード大学の英語教授によるThe New Yorkerの記事を読んで、この命に関する考えは別の側面から強化された。床屋でジョーに嫌味を言ってくるポールというキャラクターは、その後ジョーの魂を天国に引き戻そうとする勘定係にジョーと間違えられ、一瞬魂を抜かれてしまう。そのままいけばそれは死を意味するが、勘定係は間違いに気付いて魂をポールの体に戻し、「ミスは起こるものさ、君はまだ死なないよ、そんな加工食品ばかり食べ続けなきゃね」と軽いノリでごまかす。私は鑑賞時「おっそろしいことするなあ」くらいしか思わなかったのだが、記事ではこのシーンが、この映画が描こうとしなかった世の中に無視されている黒人の存在、奴隷制の歴史、警官の間違いで命を奪われる黒人の恐怖を見せてしまっていると書いており、ジョーダン・ピールの『Get Out(ゲット・アウト)』で主人公が催眠術にかかった時に「沈んだ地」に落ちるシーンと比べてすらいる。
 

 
私はこの記事を読んだ後にゲット・アウトを観たのだが、この2作品を比べている人はほかにもちらほら見られる。Hyperallergicというサイトのレビューでは、「ゲット・アウトが文化的教養となった時代に、白人女性の声が黒人男性の体を動かすという設定をなぜ採用してしまったのか」と疑問を呈している。
 

 
ここでまた思い出したのがsaebou先生のブログの『TENET テネット』評だ。
 
実はこの『TENET テネット』、『ゲット・アウト』で批判されているような態度をそのまんまやっているような作品なのではないかと思う。〜中略〜この作品は人種とか性についての問題を掘り下げたりするようなことは全くしておらず、主人公が人種差別に直面する場面は一切ない。一方でこの空っぽの中心にジョン・デイヴィッド・ワシントンという黒人男性の身体を据えて、観客にその身体を乗っ取らせようとしている。
 
ソウルフル・ワールドでは、主人公は空っぽではなくちゃんとストーリーがあるのに、その体をまだ生まれる前の魂・22に乗っ取られる。そのまま劇中大部分で黒人の主人公の体を白人女性(しかもよりによってティナ・フェイ)の声で動かし、主人公は青白い姿か猫の姿にし、最終的には主人公自身のジャズピアニストという夢より22の気付きである“人生のささやかなこと”を優先させる。
 
この作品への批判として決して珍しいものではなかったようなのだが、この物語の本当の主人公はジョーではなく22であって、ピクサー初の黒人映画!なんて喜んでいる場合ではないのだ。Polygonの記事によると、そもそもこの作品は22の物語に後からジョーを足したものらしい。これを知ると、すべてが腑に落ちる。ソウルという言葉がいかに黒人文化の中で重要な意味を持つかをを分かった上でタイトルに冠し、黒人の共同監督・脚本家や著名ジャズミュージシャンのコンサルタントを据え、音楽だけでなく仕立て屋や床屋の描写など黒人文化にかなり気を遣ったからといって、「黒人文化を描いた作品」にはならない。人種などを越えたユニバーサルな(でも白人声の)魂の成長の物語を描く上で、文化的要素として利用されたのが黒人というだけなのだ。
 
魂の話を描くことや黒人文化を単なる一要素として描くことがいけないのではなく、まだrepresentationの不均衡を是正しようという動きが始まったばかりのハリウッドで「万人共通の」物語、といっても白人目線で用意された世界観の物語のためにマイノリティ文化を利用し、一見それがメインのように見せかけるという構図がグロテスクなのだ。
 

エイサ・バターフィールド君の雰囲気映画量産問題

彼が出ているなら、きっと私好みの映画だろう。エイサ・バターフィールド君にはそう思わせる魅力がある。なんというか、長身だけどひょろっとして童顔で、優しそうな雰囲気を纏っていて、文化系少年をやらせたら抜群の安定感があるのだ。
 
しかし、私は製作者たちがこれを乱用し、「彼を出してサブカルっぽいテーマと若者っぽい苦難と良さげな共演者を合わせればなんかそれっぽくなるでしょ」と安易な企画を連発しているという結論に至った。それは下記4作品を観てのものだ。
 
 

Time Freak

 
 
ソフィー・ターナーが彼女役とあらばこれは観ねばと若干浮足立って再生ボタンを押した『Time Freak』。これは序盤で脱落してしまったのであまりとやかくいう資格はないかもしれないが、ソフィーにフラれたエイサ君がうだうだしている下りが長いのだ。そして、2人には驚くほどケミストリーがない。ソフィーが大人っぽすぎるのだ。
 
普段は奥手だけど頑張って可愛いバーテンダーに声をかけてみる、失恋でうだうだしている、オタクとつるんでいる、タイムマシンを作っている、いかにもエイサ君なら良い感じに演じてくれそうな役だ。今や高校生のオタク役といえばこの人!という感じのスカイラー・ギゾンド君を親友役にキャスティングしたところも良くはあったのだが。
 

Then Came You / Departure

 
 
今度は同じ『Game of Thrones(ゲーム・オブ・スローンズ)』出身でもアリアとの共演だ。メイジー・ウイリアムズとの相性は非常に良く、恋愛を挟まない友達関係がとても可愛らしい。しかしこれは病気を使ったお決まりのお涙頂戴映画で、末期ガンの役のメイジーに破天荒なことを色々やらせたかったんだろうなというのが透けて見える。
 
エイサ君の役も悲惨な過去を抱えており、そのことやメイジーとの刻々と近づく別れに苦しむ。一方で例のごとくちょっと背伸びして(奔放なメイジーの後押しもあり)大人っぽい美人女性ニーナ・ドブレフにアプローチする。彼女にはタイタス・バージェス演じるGBF(Gay Best Friend)というおまけ付き。今回のオタクポイントは趣味の木彫りだ。
 
タイトルがなぜか2つあるが、『Departure』の方が分かりやすい。もうネタバレも何もないと思うので書いてしまうが、メイジーの天国への旅立ち、エイサ君の精神的成長、空港で働くエイサ君が実際に飛行機に乗る3つのDepartureがかけられていて、劇中最後にドヤァと表示される。
 

The House Of Tomorrow

 
 
今度は両親は飛行機事故で死亡、エコドームにおばあちゃんと暮らし、学校にも通わずホームスクーリングを受けている世間知らずなティーンという設定。ちょっと変化球で来たが、またいかにもじゃないか。ヴィーガンフードしか食べないし、音楽はクラシックかクジラの声しか聴いたことがない。エコドームにツアーで見学に来たうちの一人、ナット・ウルフと友人となり、彼の影響でロックに興味を持つ。
 
これもこの友人の病気を利用した成長モノで、彼は心臓病でいつ倒れてもおかしくないということが分かる。大変な設定が複数重なっていること自体は悪く言いたくないのだが(無理に分かりやすくしようとするのは現実でそういう状況にいる人に失礼)、この映画は両親の不在や若者の病気、エコ暮らしの現実等を掘り下げたいわけではなく、あくまでエイサ君の成長譚のための設定として消費しているだけだ。女性に不慣れな設定ももちろん健在で、友人の妹役であるモード・アパトーが優しく手ほどきしてくれる。
 

Ten Thousand Saints

 
 
極め付けはイーサン・ホークとの親子役。イーサンがこれまたきたぞ、というダメ親父チャンピオンな設定で、主人公が小さい時に浮気相手を妊娠させて家を出て行く。その浮気相手とお腹の子どもはどうなったのかも明かされず(中絶や養子に出すことを匂わせすらする)、主人公が大きくなってエイサ君になった頃には、(たぶん別の)ガールフレンドがいる。そしてなぜかそのガールフレンドの娘ヘイリー(父親はイーサンではない)をエイサ君の元に送ってくる。
 
大した助走もなくエイサ君とヘイリーが現れても2人とも現代の若者にしか見えないのだが、時代は80年代、エイサ君はハードコアにハマっており自身もかなりギターが弾けるという設定がある。父親のせいで荒れているのでドラッグもやる。が、そんなことはすぐ忘れてしまうくらいただ髪型がおかしなエイサ君にしか見えない(私くらいの年代だと00年代のエモ少年に見えてしまう)。多少グレてワルぶっているだけで、いじめっ子にはやられるし女の子には一途だし、だいたいいつものエイサ君だ。
 
序盤に悲劇が起こるので一気に重い展開になり、暗いトーンは続く。でも雰囲気はなんとなくcoming-of-age。悲劇に見舞われるのはマイノリティで、しかもその設定も肌の色を分かりやすくしたかったためだけのような気がして胸糞悪い。
 
途中でエイサ君が加わることになるバンドのメンバーたちはストレート・エッジという文化にかなり傾倒しており、エイサ&ヘイリーも影響を受けていく。このストレート・エッジに馴染みがないのでストーリーがすんなり入ってこないのか、当時こういうシーンで生きてたらもっとピンとくる話なのだろうかと思ったが、どうやらそうでもない。メンバーが傾倒しているのも半分はある事実の隠れ蓑にするためのようなもので、この文化にリスペクトのある作品とは言えない。
 
ヘイリーの母親/イーサンの現ガールフレンド役は『The Bookshop(マイ・ブックショップ)』のエミリー・モーティマーだが、役柄のせいかブリティッシュアクセントがこれ程ムカついた作品はなかった。ヘイリーの可愛さが唯一と言っていいぐらいの救いだったが、非常に不安定で女であることを都合良く利用しすぎた役柄だった。死や生を扱うのに話が雑すぎる。
 
要は『Sex Education(セックス・エデュケーション)』があって良かった、S3楽しみ!という話なのだが、セックス・エデュケーションでのエイサ君も、・大人しくて・オタクで・優しくて・でもちょっと反抗期で・女性に奥手なキャラの域を出ない。我々はエイサ君からのこの雰囲気の安定供給に頼りすぎなのだ。全く違う角度の演技が観られるのを楽しみにしながら、彼の出演作を観続けようと思う。

理想のラブコメを求めて

一年を振り返る頃には年初に観た作品のインパクトは随分薄れているものだが、それでも今年の映画鑑賞は強烈なスタートだったことは覚えている。私史上最強のラブコメ『Long Shot(ロング・ショット 僕と彼女のありえない恋)』に出会えたからだ。
 
 
ブコメなんてguilty pleasureであって何にも身にならないよな…と以前は思っていたが、ジェーン・スーさんと高橋芳朗さんの連載を読み始めてからは、わりとどんな作品にも学びを見出だせるようになり、ラブコメ好きの自分を肯定できるようになってきた。中でもこの作品を観た興奮を共有できたことがこれまでで一番嬉しかったかもしれない。とにかく、男女のパワーバランス、メッセージ性、テンポ、何においても優れているのだ。
 

 

この連載で提唱されている「ラブコメ映画に必要な4つの条件」は、
 
1. 気恥ずかしいまでの真っ直ぐなメッセージ
2. それをコミカルかつロマンチックに伝える術
3. 適度なご都合主義
4. 「明日もがんばろう!」と思える前向きな活力
 
だ。私は私でいつか世に出てほしい個人的理想のラブコメの条件というものをかねてから妄想していて、それに照らし合わせてロングショットの良さを考えた。
 

➳おかしなご都合主義がない◎

 
スーさん達の条件と同じで、適度なら問題ない。国務長官が自分の面倒を見てくれた元ベビーシッターであるとか、セス・ローゲン演じるフレッドがボンクラのフリしてめちゃくちゃ優秀であるとか、そんなことは必要だからOK。
 
➳過激な下ネタがない(上映会をして盛り上がりたいため)✗
 
これはまったくもってクリアしていない。セス・ローゲンだから仕方がない。むしろ「誰も傷つけない種類の下ネタ」だとのスーさんの言葉でちょっと見直した。
 
➳時代に沿ったテーマ◎
 
これはもう100点満点といっていいだろう。男女のステレオタイプな社会的役割を単に逆転させるだけでなく、その上で女性蔑視の蔓延る社会で本当に対等な関係を築くことはできるのか。さらに本筋を逸れることなく、セクハラ、白人至上主義、環境問題、支持政党による社会の断絶といった今一番刺さる問題を、時に名指しで批判することも臆せずうまく取り込んでいる。
 
➳アラサーの遊び呆けてないタイプの女子が共感できる◯
 
これは『Trainwreck(エイミー?、エイミー、エイミー! こじらせシングルライフの抜け出し方)』などを観ていて思ったことだが(この作品自体は大好き)、主人公が遊び人タイプ、というかcommitment issueのある女性だったりすると、個人的に全く共感することができない。シャーリーズ・セロン演じるシャーロットはルックスもキャリアもまったくもって身近に感じられるものではないが、誠実な人柄で、仕事が忙しすぎて恋愛関係が続かないことに悩んでいる。こういう女性の方が共感しやすい。また、ティーンや20代前半、あるいは結婚も離婚も経験した熟年者が主人公だったりすると、もう共感とかいうレベルではなくなってしまう笑。
 
さらに言えば、この映画では感情移入の対象はシャーロットよりもフレッドがメインだ。個人的に、同じ記者業で中古マンションをリノベしたような洒落た部屋に住んでいるフレッドへの親近感はものすごく高い。画面の外でどんな交際関係があったかは知らないが、昔ベビーシッターをしてくれていた頃からシャーロットに一途な思いを抱いている一方で、華々しいキャリアを持ち美人の彼女に劣等感もある。シャーロットが彼に目を付けるのもルックスとか単に優しいとかいうところではなく、仕事が優秀だからというのが良い。
 
➳心を鷲掴みにしてくれる親しみやすい相手役◯
 
というわけでこの作品の場合の「相手役」というのはほぼシャーロットなわけだが、いつ何時も誠実でエレガントで、でもフレッドには弱みも見せるし一緒にはっちゃけるシャーロットは、いささか完璧がすぎる。
 
まあそれは贅沢だとして、やっぱり私自身は男性を相手役として見るのでフレッドについて言えば、鷲掴み、というほどのキュンキュンポイントがあるかと言えばそうではないかもしれない。とにかく親しみやすさ抜群で、でも本当に真っ当で言うことはちゃんと言ってくれる、というのはめちゃくちゃポイントが高い。「wantとneedは違う、必要なのはチャニング・テイタムではなくセス・ローゲンだ」と言っていたスタンダップコメディアンがいたが、フレッドはまさにneedを体現したようなキャラかもしれない。そういうフレッドに惚れるシャーロットもまたどこまで好印象積み上げてくるんだと思う。
 
➳インテリアやファッションはしっかり楽しめる△
 
ブコメお決まりの、主人公がお買い物に行ったり大事なデートの前に部屋でいろんな服を試してみたりするお着替えタイムがないのはちょっと残念だ。2人の距離感をファッションで表しているというのは件の連載を読んでなるほどだったのだが、やはりフレッドが正装する前にどんなスーツを着ようかポップな音楽をBGMにお店で色々悩みながら試してみる、というのは画的に地味すぎるのだろうか。シャーロットは職業柄正装すること自体に慣れすぎていて何時もエレガントなので、ドレスのインパクトが少ない。
 
代わりにフレッドがジョークでおかしな衣装を着るというシーンはあったのだが、あれよりはやはりお着替えタイムが欲しかった。
 
フレッドの家は、前述の通り中古マンションをリノベしたような小洒落た部屋で、ひどく散らかっていたりはしない。やはりボンクラのように見せかけて、彼は優秀だしちゃんとしているのだ。ただ心弾むほどポップかといったら違うし、世界を飛び回っているシャーロットの家もほとんど出てこない。やはりラブコメには『Ameri(アメリ)』や『Clueless(クルーレス)』のようなポップさがほしい。
 
➳GOTG並の個性を持った音楽ラインナップ◯
 
GOTGというのは『Guardians Of The Galaxy(ガーディアンズ・オブ・ギャラクシー)』のことだ。この映画のすごいところは、選曲センスが優れているのはもちろんなのだが、「あっこれGOTGで使われる曲っぽい」とその時代性とテイストを確立しているところにある。『Avengers: Endgame(アベンジャーズ/エンドゲーム)』を観た人なら、『Rubberband Man』が流れた瞬間に「あっガーディアンズきた」となった感じが分かるだろう。ラブコメに限らず、こんな音楽センスの作品がまた現れないかな、と私は常に待っている。
 
ロング・ショットは個性を確立するというよりは、手堅い選曲のイメージだ。『プリティ・ウーマン』への目配せもあるし、クラブミュージックで踊るし、旬のアーティストによるクラシックなラブソングカバーもある。何はともあれBoyz II Menが出てくる時点でもう100点、エンディングがRobynの『Dancing On My Own』でエモいので200点としてしまいたいところはある(ドラマ『GIRLS』視聴者にはわかる)。
 
➳仕事のリアルさ◯
 
行き過ぎたご都合主義と一緒で、なぜその職業の設定なのか大して意味がなかったり、職場の描写にリアルさが欠けていると萎える。仕事のシーンはほとんどなくて恋模様だけでもいいのだが、現実の生活はそうはいかないし、私が仕事が好きだからだ。
 
国務長官のシャーロットの仕事についてはとてもどうこう言える立場ではないが、少なくとも違和感を感じた場面はない。きちんと数字を根拠にさまざまな政治的問題を話し合う様は、むしろ現実の政治家よりちゃんと優秀に見えた。
 
フレッドも白人至上主義団体に潜入取材とか破天荒ではあったが、特にこれはジャーナリストとしてないだろうという点はなかった。欲を言えば、もっと彼の仕事が観たかった。
 
➳適度なカルチャーリファレンス◎
 
欧米の作品はあれこれポップカルチャーに言及するのが醍醐味でもあるが、この作品では特に前年の二大エンタメ巨塔と言ってもいい『Game of Thrones(ゲーム・オブ・スローンズ)』とMCUに触れる場面があったので楽しかった。こういう時、どちらも観ていてよかったと思える。
 
これらの点を総合してロングショットを基準にすると、私がさらにラブコメに求めているのは
➳心を鷲掴みにする相手役
➳可愛いファッションとインテリア
➳個性的な音楽
➳仕事の詳細描写
となる。こんなにあれこれ期待に応えてくれる作品はいつ現れるだろうか。

優しいロックスター×アルフィー・アレンは最強の組み合わせ

ブコメが好きで、いつかラブコメに出てほしいと思っている俳優が何人かいる。アルフィー・アレンもその一人だったが、ラブコメとはちょっと違うもののそれに限りなく近い作品にこんなに早く出てくれるとは思わなかった。ビーニー・フェルドスタイン主演『How To Build A Girl』だ。
 
 
作家・テレビ司会者のキャトリン・モランの半自伝的同名小説が原作で、大家族でイギリスの片田舎の公営住宅に住み学校の友達もいない彼女が、若くしてNMEみたいな媒体でライターとして成功し、大人の世界で揉まれる様を描く。アメリカ人のイメージが強いビーニーがWolverhampton訛りを頑張って田舎の労働階級感を出している。実際街なかのギフトショップで働いて練習したらしい。(アクセントはイギリス人からは好評価だけではないっぽい)
 


キャトリン(今回の役柄ではジョハンナ)はフェミニズムについてのエッセイ本も出しているフェミニストで、日本では北村紗衣先生による『How To Be A Woman』の訳書『女になる方法 ―ロックンロールな13歳のフェミニスト成長記』が出ている。ビーニーの配役はご本人指名だったということからも分かるように本人も大柄で豪快な感じの人なのだが、その自己肯定的なマインドは女性作家の本をたくさん読んで育ったことで培われたらしい。ジョハンナの部屋にはジョー・マーチ、ブロンテ姉妹といった彼女のアイコンたちの写真が飾られており、アルフィーの姉のリリー・アレンエリザベス・テイラーマイケル・シーンフロイト医師、ジャミーラ・ジャミールがクレオパトラ役で壁面に登場する。
 
 
文才を買われ音楽業界に飛び込んだジョハンナだが、書くのはライブのレビューばかり。そんなジョハンナが初めてインタビューするミュージシャンがアルフィー演じるジョン・カイトだ。既に大物スターの設定だが、不慣れなジョハンナを叱ったり雑に扱ったりするのではなく、優しい眼差しで導いてくれる。キャトリン自身が若い時に、彼女を搾取せず友達になり守ってくれたロックスターたちがモデルだという。その一人はElbowのガイ・ガーヴェイで、ジョン・カイトの曲は彼が書き下ろしただけに限りなくElbowっぽい。アルフィーの歌声もぴったりで、いかにもこの時代のイギリスにいそうな感じになっている。
 
 
この作品のクリエイティブチームは全員女性で、アルフィーの母のアリソン・オーウェンもプロデューサー陣に入っている。しかしアルフィーをジョン役にプッシュしたのはキャトリンで、Glastonburyのバックステージで酔っぱらいながらもツイードのコートを着てカッコいい佇まいをなんとか維持していたアルフィーを見かけ、キャスティングは彼しかいないと決めたという。原作ではジョンは大柄の設定のため、当初はアルフィーに増量してもらう案もあったがボツになったらしい。
 


これまで私の中の理想の男性フィクションキャラNo.1は『Trainwreck(エイミー、エイミー、エイミー! こじらせシングルライフの抜け出し方)』でビル・ヘイダーが演じた医者のアーロン・コナーズだったのだが、ジョン・カイトはこれを塗り替えた。ジョハンナは若干16歳なので、ジョンは手を出したりしない。だから余計に2人のシーンが甘酸っぱい。ロックスターだからといって、女にだらしないクソ野郎である必要はないのだ。
 
対照的に、ウケるからとバンドをけなすレビューばかりジョハンナに書かせ、彼女をいいように利用するNME(もどき)の編集部。ジョハンナもセレブライター扱いされることに味を占めてしまい、危険な道へと進んでいく。酷評レビューがウケるというのが何とも彼の国っぽい。
 
16歳なのに…と終始ヒヤヒヤしてしまうが、半分実話だと分かっていることもあり決して説得力のない物語ではない。話はよくあるcoming-of-ageモノと言ってしまえばそれまでだが、ジョン・カイトの抱擁力と物憂げな佇まいだけでアルフィーのファンにはお釣りがくると言ってもいいと思う。
 
ジョハンナの兄を演じるのは、『England Is Mine(イングランド・イズ・マイン モリッシー,はじまりの物語)』ジョニー・マー役で『Derry Girls(デリー・ガールズ ~アイルランド青春物語~)』や『Des(デス)』にも出ているローリー・キナストン。父役のパディ・コンシダインもいい味を出している。NMEもどき編集部のクソ野郎には『Fear the Walking Dead(フィアー・ザ・ウォーキング・デッド)』のフランク・ディレイン(彼の実父は『Game of Thrones(ゲーム・オブ・スローンズ)』のスタニス・バラシオン役スティーヴン・ディレインだと後から知った)。エマ・トンプソンも出番はちょっとだが美味しい役で出てくる。
 
 
原作小説は続編が出ており、さらにジョンとの関係やBritpop時代の音楽業界のセクシズムを描くという。キャトリンが続編のサントラとして作っているプレイリストを見ると、これも映画化を願わずにはいられない。
 
 
続編映像化の予定ははまだなさそうだが、キャトリンのさらに若い時の話はChannel4で『Raised By Wolves』というドラマになっている(HBOの同名作品とは別モノ)。こちらは妹のキャロラインと一緒に脚本を書いたコメディで、お父さんやお兄ちゃんがいなかったり、代わりにおじいちゃんがいたり姉妹が増えていたりと設定が変わっているが、大家族であることに変わりはない。より健全で明るくて子ども向けにもいける『Shameless(恥はかき捨て)』といったところか。この主人公が後に音楽界で成功していくのだと思いながら観ると楽しい。
 

自分たちのコミュニティは、自分たちで描く

ロンドン時代、家のあるEalingと中心部の繁華街の間にあるNotting Hillは好きな街だった。そう、アンティーク市やお洒落な街並み、ヒュー・グラントの本屋のNotting Hillだ。せっまい部屋に住んでいたのでお洒落な家具や置物など買えず、なぜかクリケットのボールを買ったのを覚えている。

 
毎年のノッティング・ヒルカーニバルにも遊びに行った。いつもスティールパンを奏でる人たちがいたので、カリビアンルーツの人が多い地域なんだろうなというのは何となく知っていた。けれど、そこにどんな歴史があったかは知らなかった。
 


ノッティング・ヒルを含むロンドンのブラックカリビアンコミュニティに光を当て、彼らの歴史と日常を切り取ったのがスティーヴ・マックイーン監督の映画アンソロジー『Small Axe』(英BBC)だ。『12 Years A Slaveそれでも夜は明ける)』でオスカーを受賞し黒人映画の道をさらに切り拓いたマックイーン監督だが、彼のルーツは西ロンドンにある。彼らの独特の言葉遣いやアクセント、カレーなどの食文化、パーティーシーンをメインストリーム映画で描くこと自体に、どれだけ意義があったことか。放送日のTLは、毎週自分の家族の思い出などを語る人々の言葉で溢れていた。
 

 

 

Mangrove

 

 

『Mangrove』は、1970〜71年の「マングローブ事件」が題材となっている。日本語ではほとんど情報が見当たらないが、小林恭子さんの記事が詳しい。無料部分だけでもかなり背景が分かる。BBCではかなり詳細に、関係者のインタビューを含めた特集をしている。
 

 

The Mangroveは当時地域コミュニティの支えだったレストランで、ボブ・マーリージミ・ヘンドリックスニーナ・シモンダイアナ・ロスマーヴィン・ゲイなんかも訪れたという。ここを拠点に集まっていたのがレティーシャ・ライト演じる英国ブラックパンサーのメンバー、アルシア・ジョーンズ=ルコンテら活動家たちで、人種差別的な警察の度重なる横暴に抗議し150人規模のデモを組織、警察署まで行進した。
 
アルシアやThe Mangroveのオーナー、フランク・クリッチロウ(ショーン・パークス)ら、暴動を扇動したとして逮捕され裁判にかけられた9人は、Mangrove Nineと呼ばれた。1968〜70年のアメリカの出来事を描いた『The Trial of the Chicago 7(シカゴ7裁判)』と同じ年に公開されたことが偶然とは思えないほど、公正さに欠ける判事の態度まで状況が似ている。判事役はイラつくしゃべり方がピッタリのアレックス・ジェニングス(The Crownのエドワード王子役)。Nine側の弁護士イアン・マクドナルドはジャック・ロウデンが演じた。アルシアを含む何人かは弁護士を付けないことを選んだため、彼らが雄弁に自己弁護する場面も見どころとなっている。『シカゴ7裁判』のようにドラマチックな劇伴などはないが、ユーモアを忘れない彼らのやりとりに終始目が離せない。
 
Mangrove Nine裁判の公的な記録はなく、地元紙Kensington Gazetteの記者が裁判所に毎回通い全てを記録していたこと、研究者によるインタビューが何時間分もあったことで監督は当時の彼らの言葉を入手することができたという。公文書はちゃんと保管しろよという話なのだが、地域の報道の末端に携わる者としてはとても感慨深い。
 


Lovers Rock

 

 

『Lovers Rock』の舞台はMangroveの少し後の1980年代、Notting Hillと同じエリアのLadbroke Groveだ。当時クラブに入れなかったブラックコミュニティの人達がBluesと呼ばれたハウスパーティーを楽しむ一夜の様子をひたすら描く。ハウスパーティーといっても音響機材は本格的で、50pの入場料をとり、家で仕込んだフードも販売していた。主人公マーサは、夜にこっそり家を抜け出してこうしたパーティーに行っていたマックイーン監督のおばがモデルだという。
 
マックイーン監督の言葉では、当時女性が好むようなsweetな曲がなかったことから生まれたのがラヴァーズ・ロックだ。DJたちが流す曲の中にはほぼフルトラック聴けるものもある。この作品の主役は音楽でもあるのだ。『Kung Fu Fighting』のイントロが流れると、皆ファイティングポーズをとらずにはいられない。そしてクライマックス『Silly Games』の大合唱シーンは、監督から指示したものでなく「皆歌ってくれたらいいな…」と思ってレコードを止めたら本当に自然発生的に歌い始めてくれたらしい。
 

 

楽しいだけでなく、居心地の悪いシーンもある。マーサと友達のパティがパーティーに着くなり男性たちから声をかけられ若干警戒する感じは、クラブなどに行ったことがあれば分かるだろう。パティを探して外に出たマーサがすぐに白人男たちに絡まれそうになる場面もある。そういう危険もすべて含めて、一夜の経験として描きたかったのだと思う。ただ一つこれは…と思ったのは、レイプシーンがあり、止められた犯人がシレッと室内に戻って踊っているところだ。Twitterでも言及している人が数人だけいたが、ストーリーを進めるためにレイプを使わなくても良かったのではと思う。
 
煙が充満していた夜の室内とは対照的な朝帰りの自転車のシーンは、まるでこちらも生暖かい風を切っているかのようだった。今年の個人的ベストショットを挙げるならこれにしたい。
 
 

Red, White and Blue

 
 
3作目『Red, White and Blue』では、National Black Police Association創立者でMBE(Member of the British Empire award)も授与されている元警官リロイ・ローガンをジョン・ボイエガが演じた。夏の間自らもロンドンでBLMムーヴメントに身を投じ熱い言葉を世界に投げかけてきた彼には、彼にしか出せない説得力と迫力がある。
 
イギリスの警察の内部から状況を変えようとする姿は、『Detroit(デトロイト)』で彼が演じた警備員の役とも重なる。良かれと思って黒人と白人の間の橋渡しをしようとしても、白人からは差別され続け、黒人からは「裏切り者」と蔑まれる。
 
妻役は『Misfits(ミスフィッツ)』のアントニア・トーマス。近年アメリカ版『The Good Doctor(グッド・ドクター 名医の条件)』で活躍している彼女を含め、ジョン・ボイエガレティーシャ・ライトもすっかりアメリカが主舞台のイメージだが、彼らのルーツはロンドンなのだ。アメリカ人アクセントが上手いなあ、などと呑気に思ってしまうが、それだけイギリスでは黒人俳優に与えられる機会が少ないということでもある。
 
ボイエガは、マックイーン監督とはもう次の仕事も計画しているらしい。
 

Alex Wheatle

 
 
アレックス・ウィートルは、このシリーズの脚本チームに元々参加していた小説家だ。自身の若い頃をベースにした作品を書いていたが、「スラムをテーマに書く黒人作家」の枠でしか評価されないことに反発し、ヤングアダルト作品を手がけるようになったという。彼もリロイ・ローガン同様MBEを授与されている。(wikiには邦訳本が出ているという情報もあるのだがその詳細は見つからなかった)
 
構想段階で彼の物語を取り上げたらどうかとチームの一人が提案し、監督からは自ら筆を取ることも持ちかけられたが、他の人に書いてもらうことにしたらしい。
 
Shirley Oaks Children's Homeという、後の2014年に1,700人以上の児童への虐待を告発された養護施設にいた彼は、自分のルーツを知らないまま育った。16歳でBrixtonのホステルに引っ越してから、新しい友人たちに言葉遣いやファッション、警察は味方じゃないということを教わる。
 
劇中では13人の黒人の若者が亡くなったNew Cross火災や1981年のBrixton暴動も扱われ、暴動後に逮捕されたアレックスが刑期中に文学に出会い、作家活動を始めるまでを描く。
 
小さい頃に一時期をジャマイカで過ごしたため黒人の政治家も警察官も医者も存在することを知り、自身のルーツへの誇りと将来への希望を持っていた前作のリロイに対し、アレックスはBrixtonに来て初めて入った美容室で「自分はアフリカンじゃない、Surrey出身だ」と言う。後の功績はもちろん彼の努力や才能あってのことだが、刑務所での出会いといい、環境がいかに人のアイデンティティ、人生を左右するかを感じさせる回だった。
 

 

Education

 

 

5作目『Education』の主人公キングスリーは、IQテストの成績が悪かったからと12歳のある日特別支援校に転校させられる。実際テストはイギリスの文化を知らなかったり英語が第一言語でなかったりする移民の生徒に不利な作りになっており、70年代当時名ばかりの特別支援校に行かされるのはカリブ系の子ばかりだったという。
 
キングスリーにはディスレクシアの兆候があったが、学校には動物の鳴き声をずっとマネしている子もいれば勉強に何の問題もなさそうなキングスリーよりずっと歳上の黒人の女の子もおり、皆それぞれのニーズに関係なく同じクラスに押し込まれ、先生には放置されていた。要は差別的な隔離政策がそうと言わずに行われていたのだ。
 
具体的にどの部分とは言っていないが監督自身の経験も混ざっているらしく、リサーチしていくなかでこうした学校の存在が明らかになったという。この状況を変えようと動く団体の女性の一人をナオミ・アッキー(『Star Wars: The Rise Of Skywalker(スター・ウォーズ/スカイウォーカーの夜明け)』、『The End of the F***ing World(このサイテーな世界の終わり)』)が演じる。
 

 
マックイーン監督の作品を全て観たわけではないのだが、このThe Playlistのレビューが言うように、その幅の広さに驚く。他の作品にあるダークで衝撃的な要素も確実にあるのだが、『Lovers Rock』や『Education』の柔らかい視線が私は何倍も好きだ。
 
これらの物語を語ってくれた人たちが死んでしまう前に映像化しスクリーンで見せたかったと語るマックイーン監督。ガーディアンが『Mangrove』のレビューに「こんな面白い話より先にジェーン・オースティン全作品5回ずつ映画化して、連続殺人犯全員3話連続ドラマにしなきゃいけなかったのか」と書いていたが、このシリーズは本当にrepresentationに尽きる。
 

 
映画祭でお披露目されながら英BBCと米Amazon Primeでの放送・配信になった経緯もあり、映画とは/テレビドラマとは、を改めて問う作品でもある。賞レースでは果たしてどのような扱いをされるのだろうか。
 
最後に、劇中聞き慣れない単語がいろいろあったので調べたものを書き留めておく。実際はもっとたくさんあったと思うけど。
 
cunumunu - カリビアスラングでバカな人のこと
raatid! - 驚きを表すジャマイカの言葉