王子様的スマイルで積極アタックしてくるカルにドギマギする主人公の王道感とラマダンのシチュエーションとの組み合わせが巧い。いつも作る食事がとても美味しそうなので、もっとちゃんと映して解説してくれたらよかったのにと思う。信仰の敬虔度合いやセクシャリティの多様性は『Ramy(ラミー 自分探しの旅)』や『We Are Lady Parts』で観ていたのでこれが初めてではなかったけど、ほかにもあると知れてよかった。
せっかくPoC(Person of Color、有色人種)が主人公なのに相手役が“ホットな白人”である必要はないという指摘もあり、確かにそうだなあとも思った。親の都合でエジプトに住んでいたことがあってアラビア語も話せるホットな白人とか都合良すぎるっちゃあ良すぎる。それで元から理解や関心があるから近づいてくるとも言えるけど。
我らが『The Vampire Diaries(ヴァンパイア・ダイアリーズ)』のニーナ・ドブレフと『Never Have I Ever(私の"初めて"日記)』で天然jockを見事に演じたダレン・バーネットの組み合わせ?!と思ったら、コメディアンのジミー・O・ヤンが相手役。お兄さん役にハリー・シャム・Jrと嬉しいキャスティングだけど、父親役は日系俳優と脇が甘い。
『Sul più bello(欲ばりなだけの恋じゃなくて)』まさかの続編が今日配信された。しかも前作の相手アルトゥーロとは別れている。新しい相手ガブリエルの魅力を伝えてもらわねばならないのに、親友ヤコポの気になる相手トマソ、親友フェデリカの新しい職場の人たち、おまけにアルトゥーロの元カノ(?)とその新しい彼氏の関係まで詰め込もうとしてもうわけがわからない。難病も消えたかと思いきや今度は移植手術するらしい。まだそれでも一応最後まで見届けるか〜と思っていたら、まさかのまさか「つ・づ・く」だ。続くな。
今どき病気の子どもを完全にプロットに利用するだけなのは腹が立つが、とにかくイワン・リオンの魅力が全開だ。子どもたちにせがまれメタルの曲を学校で演奏するイワン、姪と仲良く動画に映るイワン、やめようと誓ったone night standを繰り返ししまったという顔をするイワン、女性と一緒にはしゃぐイワン、姪の病状を聞き悲しみに暮れるイワン…。
8月にBunkamuraの新サービス「APARTMENT by Bunkamura LE CINÉMA」のラインナップ第1弾として配信された『Romantic Comedy/ロマンティック・コメディ』。大量の映画をコラージュのように引用して気だるいナレーションを入れる構成がまるで青春映画分析ドキュメンタリー『Beyond Clueless(ビヨンド・クルーレス)』と一緒だと思ったら、その音楽担当のエリザベス・サンキーが監督だった。
こんな作品あったな、と懐かしんだりこんなのもあるのかーと情報源にしたりはできるけど、ズバリこのタイトルを付けるなら新旧の脚本家やラブコメ常連俳優のインタビューもほしいし、もっと楽しそうに語ってほしい(笑)。白人ヘテロ視点や女性のモノ化に疑問を持つ分析も特に新しくはないので物足りないし、そういう保守性に抗う作品も紹介しているので本当に自己完結している。それにそこで『God's Own Country(ゴッズ・オウン・カントリー)』とかコメディ以外を無理やり挟まずに、ドラマやもっとマイナーな作品でもちゃんといろんなラブコメを紹介するのに時間を割いてほしかった。
この映画は、騎士ジャン・ド・カルージュ(マット・デイモン)、その旧友のジャック・ル・グリ(アダム・ドライバー)、ル・グリからのレイプ被害を告発したカルージュの妻マルグリット(ジョディ・カマー)それぞれの視点から同時期の出来事を描いた3章構成になっている。各章のタイトルは"The Truth according to 〜(〜にとっての真実)"と名前が入っているが、3章目のマルグリットのパートに入るときに"The Truth"の文字だけが数秒残されることで、マルグリットが真実を語っている前提であることがわかる。
注意書きを入れればいい、辛くなりそうな人は観なければいい、無知な男性の教育になればいいと思った人は、ちょっと立ち止まって、この映画が(少なくとも制作陣の表面上の意図の上では)誰のためのものだったのかをもう一度考えてみてほしい。どうしてもはっきりさせておきたいというなら、ダサくなっても直接描写はせず「レイプシーンは省略します」とでもテロップを入れておけばいいのだ。『Promising Young Woman(プロミシング・ヤング・ウーマン)』では証拠としてのレイプ映像をスマホで見ているという描写でそのスマホ画面は写さないという巧みな方法をとったが、それでも「肝心の部分は見せていないのだから真相はわからない」と疑う声があった。しかしそこで「こういうこともあるから見せれば良かった」と思った人はどれだけいたのだろうか。無知な人達のためにエンタメを後退化させ、人を傷つけることなど映画ファンとして望んでほしくない。
ろう者や彼らに関わる人がメインキャラクターになる作品では、音楽をテーマにしたものが多い。ドラマーが聴力を失う『Sound of Metal(サウンド・オブ・メタル)』も、ミュージシャンとろう者が恋に落ちる『Listen to Your Heart』も、聴力を失うティーンがミュージシャンに出会う米Huluオリジナル作品『The Ultimate Playlist of Noise』も、日本のドラマ『オレンジ・デイズ』もそうだ。
この映画の最大の功績は、原作のフランス映画『エール!』とは違い、ろう者の役どころに当事者の役者を配したことだ。しかし最初からこの方針だった訳ではなく、監督の交渉や、先に母親役をオファーされたマーリー・マトリンの「他のろう者役も当事者でなければ自分は出ない」という粘りがあったらしい。これはろう者唯一のアカデミー賞受賞俳優(1987年の『Children of a Lesser God(愛は静けさの中に)』)である彼女だからできたことだろう。
ルビーの歌を聴いたことのない家族は、ルビーは本当に歌が上手いのか、今何が起きているのかと困惑顔でコンサートに参加している。合唱部全員で歌う数曲が終わり、ルビーとマイルズが2人で練習していたデュエット曲"You're All I Need To Get By"を歌い出すと、サビにかかるあたりですべての音が無音になる。誰もが楽しみにしていたであろう肝心の曲のいいところを聞かせず、唐突に家族の視点に鑑賞者を置く演出は、とても心動かされるものだった。頭では彼らが聞こえないことはわかっているつもりでも、どこかそれがどういう状態なのか想像しきれていなかった自分がいたのだ。
While the determination that our language is “cool” or “beautiful” is just fine, it becomes problematic when hearing people give themselves the authority to decide what is good, what isn’t, and who is allowed to have access. How do hearing viewers know whether a specific interpretation of “WAP” is an effective translation if they aren’t fluent ASL speakers? Answer: they don’t.
クリステン・ウィッグ&アニー・マモローの爆笑コメディ『Barb and Star Go to Vista Del Mar』にも出ていたジェイミー・ドーナンだが、そちらではこの真顔がこわばった感じに見えてしまって、天然キャラっぽい良さも出てはいたものの、アメリカンなコメディにまだ慣れずはっちゃけきれていないように感じた。しかし、こちらでは完全にそれが機能している。ドジでド田舎者で何を考えているか分からない真顔の天然キャラを完成させたのだ。
I wanted to tell a story about Jens, Kim’s parents and the humanity of it all. A story where we didn’t even need to name the perpetrator. The story was simply not about him.
個人的には今のご時世警察の努力よりは故人の生前の活躍を伝えてくれる作品を観たいが(なので『Once Upon a Time in Hollywood(ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッド)』は好きだった)、最後にイングリッドとホアキムが娘の名前で女性ジャーナリストを育成するための基金を創設したことが描かれていたのは良かった。このドラマは4人に1人のデンマーク人が視聴し、マスコミも容疑者でなく、ジャーナリストとしてのキムについて報道しだしたという。
私は普段から面白くなかった作品には面白くないとズバズバ言う方だが、周りの9割9分くらいがあまりに絶賛している作品の良さが分からなかった時は多少弱腰になる。昨年は映画『The Half Of It(ハーフ・オブ・イット:面白いのはこれから)』(Netflix)がそれだった。いや別に嫌いというほどだったわけではなく、個人的ワーストは『Bad Boys for Life(バッドボーイズ フォー・ライフ)』だったが、あれはけっこうこき下ろしている人もいたので私も安心して心置きなくこき下ろしている。あとついでに言うがドラマ『Modern Love(モダン・ラブ)』も評価され過ぎだと思う。
ハーバード大学の英語教授によるThe New Yorkerの記事を読んで、この命に関する考えは別の側面から強化された。床屋でジョーに嫌味を言ってくるポールというキャラクターは、その後ジョーの魂を天国に引き戻そうとする勘定係にジョーと間違えられ、一瞬魂を抜かれてしまう。そのままいけばそれは死を意味するが、勘定係は間違いに気付いて魂をポールの体に戻し、「ミスは起こるものさ、君はまだ死なないよ、そんな加工食品ばかり食べ続けなきゃね」と軽いノリでごまかす。私は鑑賞時「おっそろしいことするなあ」くらいしか思わなかったのだが、記事ではこのシーンが、この映画が描こうとしなかった世の中に無視されている黒人の存在、奴隷制の歴史、警官の間違いで命を奪われる黒人の恐怖を見せてしまっていると書いており、ジョーダン・ピールの『Get Out(ゲット・アウト)』で主人公が催眠術にかかった時に「沈んだ地」に落ちるシーンと比べてすらいる。