2016年のホスト2人による幕間のセルフパロディを観ると、パフォーマンスの傾向が一気につかめる。
これによると、ユーロビジョンに勝つ秘訣はこうだ。
➀とりあえず皆の気を引く。ホラ貝でも吹く。
➁太鼓。できれば裸の男性に叩かせる。おばあちゃんに叩かせてもよい。
➂誰も聴いたことのない民族楽器を使う。この場合は髭のおじいちゃんのほうがよい。でっち上げても誰もわからない。
➃バイオリンを使う。バイオリンは勝つ。
➄よりモダンな路線で行きたければDJにスクラッチするフリをさせる。
➅記憶に残る衣装を着る。
➆愛か平和についての歌を歌う。ABBAは戦争についての歌を歌って優勝したけど、これはおすすめしない。
(その他:ピアノを燃やす、ローラースケートを履かせたロシア人を登場させる、回し車で人を走らせるetc.)
これだけでも、映画に使える面白おかしな特徴が満載であることが分かるだろう。実際は映画の中でウィル・フェレル&レイチェル・マクアダムス演じるラーズ&シグリットやデミ・ロヴァート演じるカティアナが歌っていたような、圧倒的歌唱力を見せつけるようなバラードやユーロポップが多い印象があるが、このカオスさが愛されているのだ。
しかし、この中で映画に反映されていたのは、ダン・スティーヴンス演じるロシア代表が従えていた「裸の男性」たち(太鼓はなし)と、➅と➆くらいだ。
英ガーディアンのレビューがこの映画について私の言いたかったことを先に言ってくれているので紹介したい。
Ferrell’s fame, Americanness and straightness mean that the film, in aiming for a mainstream comedy audience, misses the boat on campness.
ウィル・フェレルの著名さ、アメリカ人らしさ、ストレートさが、メインストリームのコメディを目指す上で、「キャンプさ」を取り入れる妨げになっている。
Campという言葉はいささか説明が難しいが、昨年ニューヨークのファッションの祭典「メットガラ」のテーマに採用されたことで話題になった。(参考)LGBTQと結び付けられることも多いこのcamp要素を多分に含み、ドラッグクイーンのオーストリア代表コンチータ・ヴルストやイスラム教徒でもあるフランス代表ビラル・ハッサニといったアイコニックなLGBTQパフォーマーを輩出してきたユーロビジョンをせっかく題材にするのに、主人公2人はヘテロなのだ。幼なじみのこの2人がくっつくのか?くっつかないのか?というのがこの映画のサブプロットで、「2人は兄妹?」「違う違う」というギャグ(?)が繰り返し劇中で使われるのを、ガーディアンの筆者は「なぜか近親相姦を仄めかせばホモセクシャルカップルにしないことの埋め合わせになると思っている」と痛烈に批判している。
出場者皆が集まって前夜祭的に一緒に歌う場面では、実際に近年ユーロビジョンに出場したアーティストが多数出演した。その中には前述の二人を含むLGBTQアーティストもいたものの、あくまで大勢のなかの一人にすぎなかった。コンテスト本番で歌うシーンがあった出場者のうち、「明確に」クィア性が押し出された人はいなかった(ダン・スティーヴンスのキャラクター設定は、ロシアへの風刺が効いていてよかった)。
もう一つ映画が大きくスポットを当てなかったユーロビジョンの重要ポイントが、民俗音楽だ。アイスランドの小さな村から出場するという設定の主人公たちは、村のパブで連夜歌を披露している。自分たちの曲を歌いたいのに、村人が愛する、ポップソングがヒットしすぎて半分民謡になったような曲『Jaja Ding Dong(ヤーヤーディンドン)』を毎回歌わされる。これは良かったのだが、肝心のコンテストでは、こうした地域特有の文化を取り入れたパフォーマーがほとんどいなかったのだ(ダン・スティーヴンスの曲はロシア代表なのになぜかラテンテイストだった)。
(話が逸れるがエンディングで急にまったくテイストの違うアイスランドのバンドSigur Rosの曲が使われたのは何だったのだろうか。非アイスランド人ばかりにアイスランド人を演じさせた埋め合わせだろうか。)
(↑2012年に出場しウドムルト語で歌い準優勝したロシア代表「ブラン村のおばあちゃんたち」は大変話題になった)
きちんとクライマックスに取り入れられていた要素もある。主人公たちはいつもは英語で歌っていたのだが、シグリットが密かに自分で書いていた曲を決勝で歌うことにし、サビでアイスランド語を披露する(本番の歌声はレイチェル・マクアダムスではなくスウェーデン人歌手のモリー・サンデーン)。テレビでその様子を観ていた故郷の村人たちは、「アイスランド語で歌ってる!!」と歓喜するのだ。
より多くの人が理解する英語で歌うのか?自国語で歌うのか?というのは例年多くのアーティストが悩む問題で、現在は参加者の自由となっているが、一律自国の公用語に制限されたり、英語に制限されたりとルールが変更されてきた歴史がある。
ちなみに、もともと英語で、ほかのどの参加国よりも世界的なアーティストを輩出してきたであろうイギリスは、嫌われ者的ポジションにあると言っていい。近年ことごとくコケており、私が昔ファンだったボーイズグループのBlueが2011年にイギリス代表になった時は「やめてぇぇ」と悲鳴を上げたものだ。個人的には、イギリスをおちょくるシーンがあったら最高のギャグになったのにと思う。
(↑「何で皆イギリスが嫌いかわかったね」「誰よりもイギリス人が一番イギリス代表を嫌っている」などとコメントがついてしまっている悪名高き2007年イギリス代表)
この映画は、ユーロビジョンの魅力を伝えるというより、一組の出場者を軸にしたいつものおバカコメディにユーロビジョンをちょっと取り入れた、愉快な歌満載の作品だと思えば満足度が上がる。いや、最初からそう思っていた人が大半か。さんざんユーロビジョンを語ったが、私はそこまで熱烈なファンだった訳ではない。今回の映画を観て改めてユーロビジョンの魅力に気付き、どうしてもこれをきちんと伝えねば!という謎の衝動に駆られてしまった。気付きを与えてくれた映画に感謝したい。