思い出をレトロカルチャーにする作品たち
80年代くらいのロックやダンスミュージックが好きだ。マッチングアプリのプロフィールに好きなバンドを書けと言われたら、The SmithsとかThe Cureと書くと思う。そういう音楽を使った『The Perks of Being a Wallflower(ウォールフラワー)』や『Sing Street(シング・ストリート 未来へのうた)』は今でも好きな映画ベスト8くらいには入るし、『Guardians of the Galaxy(ガーディアンズ・オブ・ギャラクシー)』や『Stranger Things(ストレンジャー・シングス 未知の世界)』のサントラは擦り切れるくらい聴いている。
でも私は87年生まれなので、リアルタイムでそういう音楽を聴いていたわけではない。これはあくまでエセ懐古趣味だ。私が子どもの頃から聴いていたのは、HansonとかSavage GardenとかBSBとかSpice GirlsとかのアイドルやOasisとかBlurとかのBritpopで、80年代のバンドではない。覚えている一番古い流行りのポップスは幼稚園で皆が歌っていたチャゲアスのヤーヤーヤーだ。
私にとってレトロといえば80年代かそれ以前のことで、自分の生きる時代はそれには当てはまらないと思っていた。それが変わり始めたのは、私が聴いていたボーイバンドが"再結成"しだしたあたりだ。そういうのって、おじさんになってからもうひと稼ぎしようとやるもんじゃないの?と思ったが(いやいつどう活動してようと彼らの勝手なのだが)、よく考えると彼らもいい歳だった。
さらに決定的だったのが、ブルーノ・マーズとカーディ・Bの『Finesse(Remix)』だ。90年代カルチャーにオマージュを捧げたPVを見て、ああ、ついに私の幼少時代も懐古される対象になったのだ、と思った。
今年は映画でもそれをしみじみと感じることになった。83年生まれのジョナ・ヒルが監督した半自伝的作品『mid90s(ミッドナインティーズ)』だ。スケボー文化も90年代のヒップホップも私が当時好んで触れてきたものではないけれど、近くにあった。80年代を舞台にした作品とは違う感慨があるのだ。
トドメはドラマ『PEN15』(米Hulu)だった。同じ87年生まれのマヤ・アースキンとアナ・コンクルが描く2000年代前半の中学校生活は、あまりに痛々しい。後からwikiでcringe comedyという呼び方があることを知ったが、初めての生理でタンポンのデカさに慄いたり体毛の処理で大騒ぎしたりといった体の成長への戸惑い、何かと噂して酷いあだ名を付ける中学生の残酷さはどの年代でもあまり変わらないのだろう。
当時の思い出を呼び起こすだけでなく、それを取り巻くカルチャーは、もう完全に"レトロなもの"として描かれている。カラフルでスポーティーなファッション、スケルトンの固定電話、ダサいユーザー名でやり取りするAOLのメッセンジャー。アメリカが舞台なのですべてが自分の通ってきたものではないけれど、当時教育テレビで見ていた海外ドラマではおなじみの光景だった。
B*Witched、マンディ・ムーア、*NSYNC、S Club 7、Lit、K-Ci & JoJoといった音楽に至っては、もう流れる度に懐かしさで悶絶している。今でも根強い人気があり常に新しいファンも獲得しているであろう80年代のバンドたちと違い、この年代の特にこういう安っぽいポップはすっかり消え去ってしまった印象がある。TLCやDes'reeの名曲の使い所も完璧で、前よりよっぽど好きになった。
『Dash & Lily(ダッシュ&リリー)』の日本文化描写がひどいという話を先日書いたばかりだが、日系のマヤ・アースキン自身がクリエイターを務める本作は安心感がある。さすがに中学生になってもシルバニアファミリーで遊んではいなかったなとか、逆にまだこんなに性的なことに興味なかったぞというのはあるが、30代が子どもに混じって中学生を演じているという可笑しさにさえ慣れてしまえば名作だ。
同年代で似た文化的バックグラウンドを持つ優れたクリエイターが存在することは、それだけで心強いし、エンタメへの信頼感となる。2000年代後半、2010年代が"レトロ"になるのはいつだろうか、それを作品で体現するのは誰だろうかと今から楽しみにしている。